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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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意思のことばと量稽古 New! かめおか ゆみこさん

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森の声

森の声

2024.01.23
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カテゴリ:カテゴリ未分類
世の中には「話し合えば理解し合える」と考えている人がいっぱいいます。
「誠意を持って一生懸命に説明すれば想いは通じる」と考えている人もいっぱいいます。
でもこれは思い込みや幻想に過ぎません。

火傷したことがない子に火傷の痛みを理解してもらおうと説明しても、理解できるわけがないのです。熱帯で生まれ育った人に、北国の寒さを理解してもらおうと説明しても、理解できるわけがないのです。

愛されたことも、愛したこともない人に、愛について語っても、理解できるわけがないのです。

私は赤緑色弱ですが、そうでない普通の人にはこの世界がどのような色に見えているのかが分かりません。見えない色に対して説明してくれても理解できません。

男性には女性の感覚が分かりません。女性には男性の感覚が分かりません。
子どもには大人が考えていることが理解できません。大人は、子どもが考えていることが理解できません。

子どもが他の子を打って泣かしてしまった時、「打たれたらこんなに痛いんだよ」と、打たれた子の痛みを伝えるために、我が子を打つ人もいますが、そんなことをしても絶対に「打たれた子の痛み」なんか分かりません。
子どもに分かるのは「お母さんに打たれた痛み」だけです。また、打った子に打たれ返されるのなら分かるのですが、「何の関係もないお母さんになぜ打たれたのか」が分かりません。
客観的に考える能力が目覚めていない幼い子どもに「三段論法」は通じないのです。

思春期前の子どもには「社会」という概念が理解できません。そのため、社会によって定められている様々な価値観が理解できません。
時間やお金の価値や意味も、社会的な様々なルールや法律の意味も理解できません。
いくら優しい言葉で丁寧に説明しても理解できません。

そのため、お母さんが一生懸命に説明すればするほど、子どもの心はお母さんから離れていきます。

大人が語る「価値や意味について説明する言葉」を覚えることは出来ますが、理解することは出来ないのです。道徳についても同じです。
「イジメは悪いことだ」「イジメはしてはいけない」と教えれば、「イジメは悪いことだ」「イジメはしてはいけない」という言葉は覚えることが出来ます。でも、イジメ自体は減りません。むしろ、隠れてやるようになるだけです。

このようなことは基本的に、同質言語を使い、同質文化や同質精神性を持ち、同質論理で生きている人たちが創り出す社会の中で生活している日本人には分かりにくいことですが、欧米のような、「異なった歴史や、文化や、価値観や、宗教や、生活形態を持ち、異なった精神性や価値観や論理を持っている人たちが共存して暮らしている社会」に暮らしている人にとっては当たり前のことだと思います。

そのような世界に生きている人たちにとっては他者が理解できないのは当たり前なんです。また無理して理解しようともしません。イスラム教徒はキリスト教徒のことを理解しようとしないでしょう。キリスト教徒もまたイスラム教徒のことを理解しようとはしないでしょう。

それでも、すぐ側にいるのですからなんとか共存して生きていかなければなりません。だから話し合うのです。理解するために話し合うのではなく、共存するために話し合うのです。

まただから自分の意見をしっかりと言い、きちんと自己表現をする必要があるのです。
理解してもらうことは出来なくても「自分が大切にしていることはこういうことなんだ」ということを伝え、それを大切にしてもらうことは出来るからです。

子どもは自分が作った泥団子を大切にしています。お母さんにはその泥団子の価値は分からなくても泥団子を大切にしてあげることは出来ますよね。そういうことです。そういうことで、お互いに幸せに共存できるのです。

同質文化、同質精神性の中で生きている日本人は、「言わなくても分かるよね」「言わなくても分かってよ」という甘えのような感覚を持っていますが、欧米ではその感覚は通用しないのです。
欧米文化の社会では、ちゃんと自分を表現し、ちゃんと自分の言葉で言わなければ受け入れてもらえないのです。

また、客観的な表現が得意な欧米の言葉はそのような使い方に向いています。そして、その「客観的な表現が得意な言葉」が欧米の人たちの気質の土台を作ってきたのでしょう。
それに対して日本語は、主観的な表現が多いので客観的な話し合いには向いていません。日本人は話し合うことよりも、感じることの方を大切にして来ました。

日本人が英語を学ぶ意味はそこにもあるのです。
英語を学ぶことで、日本人とは異なった視点、論理、価値観と出会い、日本人には苦手な「客観的に世界を見る能力」や「客観的に世界を語る能力」を育てる必要があるのです。
ただし、そのために必要なのは、生活の中で慣用的に使われている「英会話」ではなく、しっかりとした論理で作られている「読み書く英語」です。文法も必要です。
文法の違いの中に、その言葉を使っている人の論理や価値観が表れているからです。

今の時代、わざわざ英会話を学ばなくても性能がいい翻訳機を持っていれば、旅行や日常生活レベルでのコミュニケーション程度なら用が足りてしまうのです。
また、日本の社会も均一性を失い、多様になってきました。ですから、現代人は「客観的に語ることが出来る言葉」を学ぶ必要があるのです。

話がずれてしまいましたが、明日「気質」に戻します。





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Last updated  2024.01.23 08:21:07
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