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森の声

森の声

2024.02.02
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は「まるこ」さんからの以下の質問に答えさせて頂きます。

画一化のお話について質問させてください。
価値観については、今の方が多様性が認められるようになった面もあると思ったのですが、森の声さんはどのように感じますか?

例えば、日本の100年前と比較すると、今の方が色々な考えや生き方が許されるようになってきていると思うのです。
昔はもっと同調圧力が強く、自分の意見より村の価値観に従うことが絶対だったのではないかと。

普段生活していても、自分の親世代より、今の若い人の方が柔軟な価値観を持っていると思うことがあります。
例えば、障がい者やLGBTの方、不登校など少数派の価値観が認められやすくなったことなど。 

一方で、世界は資本主義の思想に覆い尽くされて、昔から続いてきた民族・地域の文化はどんどん消滅しているので、確かに全体としては価値観も画一化なのかもしれませんね。

もう一つ質問ですが、昔の方が思考が多様だったというのは、具体的にどのようなことか教えていただけますでしょうか。
昔はインターネットで答えを得るのでなく自分の頭で考えた、というようなことでしょうか。

最近、自分がどう生きるのか、世界がどうあるのがよいのかを考えるために、昔の人の生き方を知りたいと強く思っています。


最初にお断りしておきますが、私は「昔の方が良かった」ということを言いたいわけではありませんからね。ただ、「何が起きたのか」、「何が起きているのか」ということを明らかにしたいだけです。

まず、
例えば、日本の100年前と比較すると、今の方が色々な考えや生き方が許されるようになってきていると思うのです。
昔はもっと同調圧力が強く、自分の意見より村の価値観に従うことが絶対だったのではないかと。


という点ですが、同調圧力が働いたのは、「同じ階層に属し、同じ地域に住んでいる人」の間でだけです。
分かりやすくいえば同じ会社の中では同じ同調圧力が働いていますが、別の会社の中では別の同調圧力が働いているということです。中には同調圧力自体がない会社もあるでしょう。

昔の社会は階層的でした。昔、学校で「士・農・工・商」という言葉を習ったと思いますが、他にもそれらとは別枠の層の中で暮らしている人もいっぱいいました。インドではその階層を「カースト」と呼びますが(その中に入らないアウトカーストの人たちもいっぱいいます)、カーストと似たような社会システムは世界中にありました。そして、今でもあります。
政治家は庶民とは異なった価値観と同調圧力の中で生きています。
教師も、教師以外の人とは異なった価値観と同調圧力の中で生きています。

そして、同じカーストに属する人たちは同じ価値観を持っていました。だから同調圧力もありました。武士には武士特有の同調圧力があり、商人には商人特有の同調圧力があったのです。
でも、その同調圧力が嫌な人は別の層に逃れることも出来ました。武士の同調圧力が嫌いで武士をやめてしまった人もいたでしょう。

昔は、社会自体が多様な価値観によって支えられた層が幾重にも重なった多重社会だったのです。だから逃げ道も色々とあったのです。
その層は今でもありますが、昔ほど層と層の間がはっきりとしていません。そのため、層を超えた同調圧力が働くことも多いです。

コロナの時のマスクや、ワクチンや、ソーシャル・ディスタンスなるものがそのいい例です。それが嫌だからといって拒否するのは困難でした。実際、いかなる職業の人もその圧力にさらされました。宗教家が「私は神様に守られているから大丈夫だ」などということを言っても即座に否定されたでしょう。
全ての国民が国によって管理されている現代社会では、国家が押しつけてくる圧力からは逃げられないのです。

また、国家やメディアの働きによって価値観の単一化が起きたことで、「差別はいけない」というスローガンの元、差別している人を差別するようになりました。
男女平等のかけ声の下、「男らしさや女らしさを大切にしようとする考え方」は否定されました。

「果物はみんな同じじゃないか」という価値観が広まれば、「僕はリンゴが好き」「私はバナナが好き」という人は否定されてしまうのです。
多様性の押しつけは価値観の均一性を促し、逆に多様性を壊してしまうのです。

自然界では、鳥は鳥らしく、クモはクモらしく、カエルはカエルらしく、オオカミはオオカミらしく生きています。それが多様性です。

「クモとかカエルとかオオカミなんて区別は止めようよ、みんな同じ生き物じゃないか」などと、鳥らしさ、クモらしさ、オオカミらしさを否定したら、自然界の多様性は消滅してしまうのです。残るのはただの弱肉強食の世界だけです。
だからといって、「クモはクモらしく生きろ」「オオカミはオオカミらしく生きろ」と押しつけるのも違います。多様性は「自然に生まれてくるもの」であって、「人為的に押しつけるもの」ではないからです。

また、価値観の違いは「層の違い」の中だけでなく「地域の違い」によっても生まれていました。人々の移動が少なかった昔は、住んでいる場所が違えば価値観だけでなく生活の仕方や言葉までは異なっていました。特に、その間に山や川があるような場合は、顕著にその違いが生まれました。

同調圧力があったのは、同じ地域に住み、同じ層の中で暮らしている人の間だけだったのです。山一つ超えてちょっと引っ越しするだけで、それまでの同調圧力から逃れることが出来たのです。

その「地域に根ざした同調圧力」は、いわゆる「ママ友」の中にもあります。ある公園を中心としたママ友の間で共有されている同調圧力と、別の公園を中心としたママ友の間で共有されている同調圧力は異なっているでしょう。

普段生活していても、自分の親世代より、今の若い人の方が柔軟な価値観を持っていると思うことがあります。
例えば、障がい者やLGBTの方、不登校など少数派の価値観が認められやすくなったことなど。


それは「育ちの中で与えられた価値観」が、「まるこ」さんと「今時の若者」で違うからに過ぎません。まるこさんが持っていない価値観を若者が持っているからといって、それだけでは「柔軟な価値観を持っている」とは言えないのです。
本当に柔軟な人は、昔の人や、自分とは異なった価値観を持った人、時には自分とは敵対する人の言葉にも素直に耳を傾けることが出来るものです。
ただ単に「自分とは違う考え方をする」というだけでは柔軟とは言えないのです。

実際、今時の子ども達を、便利な機械や道具がない状態の中に連れ出すと、いかに頭が固くなってしまっているのがよく分かります。人の言葉に耳を傾ける能力も低いです。

もう一つ質問ですが、昔の方が思考が多様だったというのは、具体的にどのようなことか教えていただけますでしょうか。
昔はインターネットで答えを得るのでなく自分の頭で考えた、というようなことでしょうか。


思考の多様性は、生活や体験の多様性によって育ちます。それは世界を色々と歩いて実感したことでもあります。
そして、現代人は「生活や体験の多様性」を失ってしまいました。


幼い時からゲームでばかり遊んで育った子は、世界中、みんな似たような価値観を持っているのではないでしょうか。





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Last updated  2024.02.02 08:57:03
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