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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2024.02.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
現代人は「子どもや老人や障害者は弱い立場の人間だから守ってあげよう」と言います。いわゆる「弱者保護」の思想です。

この考えは一見優しさの表れのように見えます。でも、このような「強者と弱者を分離するような考え方」では子どもや、老人や、障害者は一方的に保護されるだけの存在になってしまいます。

また、保護する立場の人たちは、保護する対象の子どもや、老人や、障害者を下に見るようになってしまう可能性もあります。そうなってしまうと子どもや、老人や、障害者から何も学ぶことが出来なくなります。
また、「保護してやっているんだから」と思い上がってしまう人もいるでしょう。それが差別的な感覚を生み出してしまったりもします。

実際、多くのお母さん達が子どもに対してこのような感覚を持っています。そういうお母さんは平気で自分の子どものことを罵ります。
お父さんも同じです。時々「おれがおまえ達を養っているんだ」などとばかげたことを言うお父さんもいますが、そのようなお父さんもまた同じような感覚を持ってしまっているのでしょう。

一方、保護される側の子どもや、老人や、障害者と呼ばれる人は自己肯定感を失います。また、依存することに慣れてしまうことで、自立するために必要な能力を育てる意欲や機会を失ってしまうこともあるでしょう。

私には、「弱者を守ろう」という考え方自体の中に、「差別的な意識」が含まれているように思えるのです。そもそも人間を「強者と弱者に分ける考え方」自体が差別を創り出しているのではないかと思うのです。

この世界には絶対的強者も絶対的弱者も存在していません。それは自然界においても、人間界においても同じです。
ジャンケンにおいては、絶対的強者も絶対的弱者も存在しませんよね。それと同じです。
絶対的強者と思われているライオンだって、死ねば絶対的弱者の小さな虫や細菌に食べられてしまうのです。

昔、子どもや老人は一方的に守られる立場ではありませんでした。実際、人々の生活の中で子どもも老人も重要な役割を果たしていました。
もちろん、全員がというわけではないでしょうが、今よりも老人を人生の先輩として敬い、老人の智恵を大切にする人が多かったのです。

子どももまた、「保護を受ける対象」ではなく「生活を共にする仲間」でした。「お手伝い」は「押しつけられた労働」ではなく、「共に生きる仲間」として当たり前の行為だったのです。そして子ども達はそのお手伝いを楽しみ、そのお手伝いから自立して生きるために必要な多くのことを学んでいました。

でも今では便利な機械の登場によって、子どものお手伝いは必要がなくなりました。大人の生活と子どもの生活が分離して、子どもは「生活を共にする仲間」ではなく「保護を受ける対象」になってしまったのです。
それはまた「大人の世界」と「子どもの世界」が分離してしまったことを意味しています。その結果、肉体的には大人になっているのに、心の中は「子どもの世界」のまま生きようとしている大人がいっぱいいます。
特に男性に多いです。

そして大人は、子どもを「自分の後を継ぐもの」として見なくなりました。子どもも大人を「自分たちの先輩」として見なくなりました。

老人も社会から分離され、老人の言葉に耳を傾ける人も減りました。そのことで老人は自分の価値を感じることが出来なくなりました。

「お年寄りを大切にしよう」、「生命を大切にしようと言っても」、生活の中でその価値を感じることが出来なくなってしまった人々にはそれは「空論」であり、「きれいごと」に過ぎません。実際、道徳の時間などで「お年寄りを大切にしよう」と教えるように指導している政府がお年寄りをバカにするような政治をやっているのですから。

子どもたちは大人達がお年寄りを大切にしている姿を見てお年寄りの価値を知るのです。理屈で伝えることが出来ることではないのです。

大人が子どもを、「保護を必要とする対象」としてではなく、「自分にとって、社会にとって大切な存在」として扱うことで、子どもは自分の価値を知るのです。そしてまた、自分を「大切な存在」として扱ってくれる大人を尊敬しあこがれるのです。

誰からも大切にされていない子ども達は、いくら衣食住を与えられ、お金をかけて保護されていても自分の存在に価値を感じることが出来ないのです。

子どもだけでなく人は、「自分が大切にしているもの」を大切にしてくれる人を「自分にとって大切な人」と感じるのです。

家がお金持ちで欲しいものは何でも買ってもらっている子よりも、親から仲間として受け入れられている子の方が「大切にされている」と感じているものなんです。





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Last updated  2024.02.04 10:35:31
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