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日本人は日本の国の文化を大切にしていません。
日本は島国だったので、他国の文化と接しながら暮らしてきた歴史がないため、自国の文化に対する自覚が生まれなかったからなのでしょう。 ちなみに「文化」というものは「学校で教える」というようなことではなく、日常生活の中で、親から子へ、地域の中で大人から子どもへと伝えていくものです。日々の生活とつながっているからこそ「文化」なんです。 明治以前の日本人にとって、日本の文化は空気みたいなものだったのです。 それが明治維新になって日本の文化とは異なる欧米文化と出会うことで、日本の文化を自覚するようになったのですが、その際、日本の文化を守ろうとするのではなく逆にそれを否定し、こぞって欧米化を目指したのです。 国も国民も、文明開化という掛け声と共に、自らの意志で日本の文化や生活スタイルを否定しはじめたのです。学校教育もその手助けをしました。 「庶民のもの」としては残ったものもありますが、商人や政治家や軍人といった国を動かしているような人たちは積極的に欧米的な考え方や生活スタイルを取り入れました。 その流れの中で、日本の美術品や工芸品や神社仏閣は、価値を失い、廃棄されたり外国に売り飛ばされたりしました。日本の公用語を、日本語ではなく英語にしようという動きまでありました。日本人の価値観や生活スタイルも変わりました。 その一方で、それ以前にはなかった「愛国心」という考え方を創り出し国民に強要するようになりました。他国と競争し、戦いに勝つために必要だったからなのでしょう。 神社や神道も、明治以前はもっと緩く生活の一部のようなものだったと思うのですが、明治に入ると、天皇の権威とつなげられることで絶対的なものになりました。 現代の日本人は、浮世絵や茶道や様々な日本の文化を自慢しますが、でもそれは、日本の文化を知った外国の人が日本の文化の価値を認め褒めたから、その価値観が逆輸入で戻ってきたに過ぎません。 これは日本ではよくあるパターンですよね。日本人は、自分たちの感覚や哲学で自分たちの価値を決めることが出来ないのです。常に他人の評価を気にしているのです。 現代の日本人は世界の中でも古くから続いている日本の文化を誇りますが、でも、その中身は知りません。 茶道という言葉を知っていても、実際に茶道を学んだ人はそれほど多くはないと思います。 スポーツとしての柔道や剣道は、古来から日本にあった柔術や剣術とは全く異なるものです。ルールがないスポーツは考えられませんが、柔術や剣術にはルールがないのですから。 世界共通のルールで戦う柔道や剣道は日本古来の文化ではないのです。 また、スポーツとしての柔道や剣道は勝ち負けを競いますが、柔術や剣術は勝ち負けを競うためのものではありません。それに、本気で勝ち負けを競ったら両者とも大けがするか、どちらかが死んでしまいます。 仏像の素晴らしさを語る人は多いですが、信仰している人は少ないです。現代人にとって仏像は美術品であって、信仰の対象ではないのです。 その流れは現代も続いていて、「お袋の味」や、地域の祭りや文化はどんどん廃れているか観光イベント化しています。 その結果、現代人の精神は根無し草になってしまいました。 偉そうなことをいっている私自身も、このような歴史の流れを本で学んだだけで、日本の文化の中身についてよく知っているわけではありません。 でも今、そのような「自分たちのルーツにつながるようなもの」をもっと大切にし、子ども達にも伝えていくべきなのではないかと思っています。ただ単に知識として教え、体験としてやらせるのではなく、生活文化として伝えるのです。 そうしないと「人と人のつながり」が消えてしまうからです。 そしてそれが、次世代の子ども達の心や生活のルーツになっていくのではないかと思います。 「お袋の味」を伝えるのもいいと思います。様々な歌や物語も伝えるべきだと思っています。何でもかんでも「簡単便利で新しければいい」「ネットで調べればいい」ってもんじゃないと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.18 15:52:37
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