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現代人はあまり「伝承」ということを大切にしません。伝承という方法では時代の変化に付いていくことが出来ないからなのでしょう。
そのため、時代を超えて伝承されてきた様々な文化や、技術や、生活様式や、考え方などが急激に消え始めています。 実際、テレビなどで見ていると、継承者がいなくて廃業を余儀なくされている分野もいっぱいあるみたいです。 そして、現代人が「伝承」の代わりに取り入れたのが「教育」という方法です。「伝承」には「伝承を受けた人」「やって見せてくれる人」との出会いが必要ですが、「教育」という方法では、そのような人がいなくても教科書があれば成り立つのです。 見せるにしても、実際に「伝承を受けた人」と出会わせる必要はありません。動画で見せればなんとかなると思っています。そういう点で非常に便利なんです。 その「教育」という方法では、コマを回すことが出来ない先生でも、子ども達に「コマの回し方」を教えることは出来ます。 イジメをしている先生でも「イジメはダメだよ」ということを教えることは出来ます。算数が嫌いな先生でも算数を教えることが出来ます。 そして、時代の変化に合わせてその内容を自在に変えることもできます。 実際、戦争中は「鬼畜米英」を教えていた先生達が、終戦と共に手のひらを返したように「アメリカは良い国だ」ということを教えることが出来ました。それが「教育」の便利なところです。 ただし、便利だけど中身がないのです。 明治維新の時、日本は欧米流の生活や考え方を欧米の人から直接伝承されたのではなく、欧米に行って見聞きし、体験してきた人から教育という方法によって間接的に学びました。 だから、「日本的な欧米文化」や「日本的な民主主義」という不思議なものが生まれたのです。日本のものと本家のものとは、一見、形は似ているのですが、中身が全く違うのです。「教育」という方法では中身を伝えようがないからです。 学校の授業でどんなにいっぱい道徳教育を教えても子どもの道徳心が育つわけではありません。増えるのは「道徳についての知識」だけです。それが「教育」という方法の限界なんです。 子育て書を山のように読んで「あるべきお母さんの姿」を学んでも、実際には「あるべきお母さんの姿についての知識」が増えるだけで、そのようなお母さんになることが出来るわけではありません。 本当に人が変わり、人が育つためには「知識の学び」ではなく「人との出会い」が必要になるのです。 他の子が竹馬に乗っている所を見たことがない子は、当然のことながら竹馬に興味を持ちません。興味が無いのですから、やらせようとしてもやりません。 また、言葉でいっぱい「乗り方」を教えても、乗れるようにはなりません。 子どもでも大人でも同じですが、人は見たことがないことには興味を示さないのです。そして興味が無いことをやらせようとしてもうまく行くわけがないのです。これは遊びだけでなくお勉強でも、お手伝いでも同じです。 子どもの育ちに必要なのは「知識を教える教育」ではなく、「実際にそれを受け継いだ人との出会い」なんです。その出会いが「伝承」を支えているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.19 06:49:47
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