「つながれない子どもたち」(つながりを支えるものを育てる)
一般的に、物と物をつなげる時には接着剤を使います。接着剤を使わない時には、組み合わせたり、縛ったりして構造的につなげます。いずれにしても、何かと何かを持ってきて、そのままの状態でくっつけようとしてもくっつきません。くっつけるためには「くっつきを支えるための何か」が必要になるからです。それでも、材質的に異なるものはそんな簡単にくっついたりはしません。「固いもの」と「柔らかいもの」を接着剤でくっつけたら、簡単に「柔らかいもの」が壊れてしまいます。また、最初から「くっつくこと」を拒否しているような形状や材質のものもくっつきません。最近は表面に特殊な加工をしてテープや汚れなどがくっつかないような素材のものも多く出回っていますが、そういうものは接着剤を使ってもくっつけることが出来ません。接着剤のような「くっつけるもの」があっても、似たような固さや特性を持ち、かつ、「くっつくことを受け入れるようなもの」同士でないとくっつけることは出来ないのです。そして実は、これは子どもと子ども、人と人がつながる場合も同じなんです。ただ子どもたちを大勢集めただけでは、子どもたちの間につながりは生まれないのです。一緒に遊んだりもしません。子どもと子どもをつなげようとするのなら、まず、接着剤のような「つなげるもの」が必要になります。それは、言葉や、遊びや、それまでの生活体験であったりします。共通の言葉、共通の遊び、共通の生活体験を持っている子同士なら、大人が何かしなくても、簡単につながり、勝手に遊び始めます。自然の中で遊ぶことが好きな子を自然の中で出会わせれば、大人が何もしなくても自然につながり、勝手に遊び始めます。でも、「自然の中で遊ぶのが好きな子」と「部屋の中でゲームで遊ぶのが好きな子」を出会わせてもつながれません。「つながりを支えるもの」を共有していないからです。これはゲームが好きな子同士でも同じです。好きなゲームが異なっていたら、一緒には遊べないのです。でも、みんなで一緒に遊ぶのが好きな子同士なら、一緒に遊び始めます。その際、どのように遊ぶのかは話し合って決めることが出来ます。そのような子は、家族と遊ぶのも好きです。お母さんや、お父さんや、兄弟と遊ぶのも好きです。というか、そういう環境で育ったから友達とも遊ぼうとするのです。子どもと子どもがつながり合うためには、子ども自身がつながりを求めている必要があるのです。「一人で遊んでいる方が好き」という子を何人も集めても、つながりは生まれないし、一緒に遊び始めることもないのです。ただそういう子は、自分のテリトリーや権利だけは守ろうとするので、テリトリーが重なってしまっている場合には争いが起きます。他の子に自分の権利が阻害された場合も争いが起きます。ゲーム好きな子が何人かいるのに、ゲーム機が一つしかなければ必然的にケンカが起きます。「縄跳び」にこだわる子と「鬼ごっこ」にこだわる子も一緒に遊べません。そのような子は自分の欲求を通すことばかりを考え、「一緒に遊ぶ楽しさ」を求めていないからです。そして今、そういう状態の子が多いのです。そのため、ちょっとしたことで簡単にトラブルになってしまいます。でも、話し合う能力も育っていないので、自分たちでは解決することが出来ません。また、「一緒に遊びたい」という目的も共有していないので仲直りも出来ません。子どもたちから、共につながり合うために必要な言葉や、体験や、生活や、環境を取り上げたのは大人達です。家族や兄弟の間で「一緒に遊ぶ楽しさ」を伝えていないのも大人達です。子どもを家の中に閉じ込め、ゲームやスマホを与え、みんなで遊ぶ楽しさを伝えていないのも大人達です。それでも、子どもたちはつながりを求めて他の子と関わろうとします。それが成長本能でもあるからです。でも、関わり方が分かりません。つながり方も分かりません。それがケンカやイジメという形で現れていることも多いです。でも、仲直りの仕方も知らないし、一緒に遊びたくもない子と仲間直りしたいとも思いません。子どもたちがつながり合うためには「一緒に遊べる遊び」や、「共通の体験」や、「喜びの共有」が必要なんです。そういうものを与えることなく、「なんで仲良く遊べないの」などと子どもを叱るのは筋違いなんです。