カテゴリ:恋する女たち
藤田嗣治展 見に行きました。
なぜだか、フォト管理にうまくつながらなくて、今日は写真のアップができませんでしたが、写真はまた明日ということで、残念ですがーー。 ![]() 場所は竹橋の国立近代美術館。どうどうと90点以上の展示です。 生誕120年ということで作品がそろっています。 パリに暮らしていたころ、一度彼のシャンパーニュ地方・ランスにある、彼自身が設計し、絵を描いた教会を見にいくバスツアーに参加して、その教会を見に行ったことがありました。昔から非常に近親間のある作家なのです。 ![]() 昨年だったか、オペラ蝶々婦人の舞台で藤田がデザインした舞台衣装展が、青山のプラダビルであり、藤田というとどうしても見に行きたくなってしまい、やっぱり日曜日に出かけていったのです。 藤田はとってもお洒落な人で、センスのいい人です。彼は、戦争中に日本に帰り、戦争画を書き、戦後画壇から、その責任を追及され、日本を再び離れてその後二度と日本に戻ることがなかったといわれています。晩年は洗礼をうけクリスチャンとなったのですね。彼の宗教画は、そのランスの教会が集大成といえるのですが、今回ヨハネ黙示録の絵など、非常に迫力がありました。 お父さんが陸軍の軍医さんだったので、やはり環境や時代の流れから、戦争の絵を描いたのですが、決してその絵からは、戦争をたたえるようなものは感じられず、むしろ、戦争の実態を伝えるような絵画だったのに、国からの依頼で絵を描いたと言うことで責任を追及されたのでしょうね。 二つの国のどちらからも異邦人として扱われたと解説がありました。「私が日本を捨てたのではなく、日本が私を捨てたのだ」ということを書いていたようですね。確かにそうなのかもしれませんね。 彼はあまりにもパリになじみ、日本人のだれもが果たせなかった、パリの画壇で、堂々と活躍するということを難なくしていたので、たぶんに嫉妬も買っていたと言われています。 でも、藤田の感覚は、非常に日本的であり、伝統的な日本を背負っていたと思います。また、あえて日本の芸術や文化を自分の個性として打ち出したのだと思います。墨絵や版画の美人画のような描き方、油なのに水彩のような淡白さや繊細さ。日本画の面相筆で描く線はヨーロッパの画家たちの誰も真似のできない描き方でした。 いろいろな時期の藤田の作品を一同に見ることができ、とってもうれしかったです。特に晩年の子供たちをテーマにした絵はとっても楽しく、不思議な感覚でした。 かれは日常のガラスや食器や箱など、いろいろなものをつくり、毎日の生活を楽しんでいたようです。絵の中にもたくさんの日常品を描き、愛着をもっていたことがよくわかります。 彼の自画像も、ロイドめがねにピアスなんかしていて、今の時代でもお洒落な若者風ですから、その当時どれだけ先端だったかかうかがい知れますね。 かれは、フリーダ・カーロの夫、リベラ・ディエーゴとも交流があって、彼の影響から南米を旅し、大きな壁画も進んで製作していました。 特に秋田の平野政吉美術館にある、「秋田の行事」という大壁画にはとても生き生きと民衆の行事が躍動的に描かれているようです。 今回この作品はありませんしたが、ビデオなどで、見ることができます。 この平野政吉美術館には藤田の絵がたくさんあるようです。ぜひとも一度いって見たい美術館です。 彼は、何度か結婚していますが、最後は日本人の奥さんと暮らしました。 二つの国を祖国にもった藤田嗣治に、ここまで惹かれる理由が私の中にきっとあるのだと思うのですが、今後ゆっくりと自分の遺伝子に問いかけてみることにします。(笑) ![]() 皇居の桜の花も満開でした。 夜には雨が降りましたが、明日は桜が散ってるかな、。 ![]() では非常に芸術的な日曜日、有意義に過ごしました。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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