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2024.05.24
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
真島稲荷神社
根津神社から東へ10分程歩いた三浦坂と赤字坂の中間にある路地の突き当りに鎮座します

鎮座地は、現在細かく区画され、住宅が密集する地域です
鎮座地の谷中2丁目一帯は以前、旧谷中真島町の一部でした
周辺は上野台地の裾にあたり、根津神社方向にかけて坂が多いところで、真島稲荷の南の筋には三浦坂、北の筋には赤字坂など、坂に名前がつけられています。
三浦坂は江戸期の三浦志摩守の下屋敷に通じる坂で、赤字坂は、明治期の資産家で後に破綻した渡辺氏の別宅へ通じ、大きな区画が多かった
この神社はそうした屋敷内に祀られていたのでは、そんな想像すら抱かせます

上は明治期とほぼ現在の地図で赤枠が真島稲荷神社と三浦坂、赤字坂を示したもの
神社の印はなく、鎮座地は現在ほど細かく区切られていません
三浦坂と赤字坂の中間にある路地は、大名時計博物館の西斜面で突き当りになります
そこに神社が鎮座しています
笹が生い茂る斜面中程に覆屋があり、路地から社殿まで写真のように石段が作られています
鳥居は石段の幅に合わせてあるため縦長の印象を受けます
鳥居の額束には真島稲荷と記されています

神社全景
切妻屋根に向拝が付けられ、神社幕、鈴、燈籠も備えられています
もちろん覆屋の前では狐が守護しています

真島稲荷神社の一帯は、江戸時代に神が宿る森と、そこに鎮座する神社を江戸七森と呼ばれたようで、当時の神社周辺の環境が想像できるものかも知れません
他に江戸廿一森、江戸三森など色々あるようです
江戸七森は以下の七社を指すようです
・椙(すぎ)森 椙森神社 中央区日本橋堀留町
・初音森 初音森神社 中央区東日本橋
・柳森 柳森神社 千代田区神田須田町
・吾嬬森 吾嬬神社 墨田区立花
・竹森 竹森神社 中央区日本橋小伝馬町
・烏森 烏森神社 港区新橋
・笹森 真島稲荷神社 台東区谷中
この中で自身が訪れた神社は、江戸名所図会に挿絵が残る烏森神社
当時は松や杉などが生い茂る杜に神社が鎮座していた様子が描かれている
ここ真島稲荷神社周辺が笹森と名が残る事から、当時は笹が生い茂る一帯だったのでしょう

覆屋の前を守護する狛狐
玉と巻物を咥え、真新しい前掛けがかけられた狐
寄進年は見ていませんが、それほど古いものではないようです


本殿は銅葺屋根の一間社流造で千鳥破風が付くもので、小型ですが破風や虹梁、木鼻など意匠が施されています
戸の前に鏡と陶製の一対の狐の姿があります
こちらに祀られている祭神は・・・現地に由緒などがないため、推測になりますが、宇迦之御魂神または倉稲魂命であると思われます

社殿左の擁壁に埋め込まれているプレート、そこには「奉納敷地 昭和63年2月吉日」とあり、他にも「真島稲荷改築奉納 昭和63年2月吉日」の碑がありました
これらから、昭和63年以前より鎮座していると思われますが、今昔マップの明治頃の鎮座地を見ても、鳥居らしき姿はありません
江戸七森のひとつとあるので、創建が昭和とも思えません
江戸名所図会を確認しましたが、眞島稲荷の挿絵や記述は見つからなかった

鎮座地は細かく区画され、住宅が密集しています
旧谷中真島町のこの辺りは、上野台地の裾にあたり、西にかけて坂の多いところで、一番低い場所を藍染川が流れ(暗渠となり現存)不忍池の西側に注いでいました
江戸時代は武家屋敷、明治の頃には資産家の別宅や寺院が残る大きな区画だった事から、そうした屋敷内に祀られていたものが、ここに社地を与えられ祀られた、そんな想像すら湧いてくる
詳細は分からなかったが、地元で今も崇敬されているのが伝わってくる稲荷さんです

本殿前から下町情緒の漂う谷中の路地を見下ろす

路地を戻り、その先を左に進み三浦坂に向かいます

三浦坂
狭い道幅の緩やかな坂が大名時計博物館方向に続きます
下町の狭い通りですが、お洒落なお店がひっそり点在するあったりは東京らしい
根津神社付近のお店の混雑が嘘のようでした

坂の上り口にある三浦坂解説
三浦坂 台東区谷中一丁目四番
「御府内備考」は三浦坂について、「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」と記している
三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれた
安政3年(1856)尾張屋版の切絵図に、「ミウラサカ」・「三浦志摩守」との書き入れがあるのに基づくと、三浦家下屋敷は坂を登る左側にあった
三浦氏は美作国(現岡山県北部)真島郡勝山二万三千石の藩主
勝山藩は幕末慶応の頃、藩名を真島藩と改めた
明治5年(1872)から昭和42年1月まで、三浦坂両側一帯の地を真島町といった
「東京府志料」は「三浦顕次ノ邸近傍ノ土地ヲ合併新ニ町名ヲ加ヘ(中略)真島ハ三浦氏旧藩ノ名ナリ」と記している
坂名とともに、町名の由来にも、三浦家下屋敷は関係があった
別名の中坂は、この坂が三崎坂と善光寺坂の中間に位置していたのにちなむという
平成四年十一月  台東区教育委員会」

東京というと、灰色のビルに囲まれた風景や、忙しく歩き回る人々によって生じる閉塞感が強く印象づけられます
しかし、そんな中でも静寂が漂い、下町の風情が残る場所が存在することに、安堵の気持ちを覚えます

真島稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / 東京都台東区谷中2-1-5
根津神社から徒歩 / ​東へ徒歩約10分
公共交通機関アクセス / 地下鉄千代田線「根津」駅より​徒歩約6分

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過去記事 / ​烏森神社






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Last updated  2024.05.25 20:49:43
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