洲嵜秋葉神社(名駅付近の神社巡り 7)
名古屋の玄関口、名駅から東方向に鎮座し、徒歩圏内で行ける神社を巡って来ました。堀川を渡り、中区大須1の洲嵜秋葉神社を参拝し一区切りとします。中村区から新洲崎橋を渡ると中区となり、若宮大通の南側を東に進みます。写真は洲崎神社。嘗ては海岸線がこの辺りまで迫っていました、洲崎神社や旧町名の洲崎町の名の由来はよく分からない。須嵜の名からすると、海辺から続く洲の先っぽに位置した事からきていると勝手に想像する。昔の地名はその地を良く表していたものです。今では洲の面影は消え、嘗ての波打ち際にはビルが立ち並び、渡るのに一苦労する広い幅員の若宮大通が東西を貫いている。この若宮大通りは焼け野原となった名古屋の戦災復興計画の一環として、延焼を食い止め、尚且つ避難可能なスペースとした防災目的の意味も込められて作られたもの。その道路の上には名古屋高速の高架が聳え立つています。上は明治とほゞ現在の地図の比較、緑で示したのが前回訪れた「白龍神社」です。左には当然若宮大通の姿はなく、赤く示したところが今回の目的地「洲嵜秋葉神社」。明治の地図には鳥居の印もなく洲嵜秋葉神社の創建や由緒は分かりません。少し東に進めば名古屋市科学館のある白川公園も近い。防災目的の若宮大通(100㍍道路)と名古屋高速。洲嵜秋葉神社はこの通り沿いに鎮座しています。この光景、火災はともかく、ここで地震に遭遇した時はいい心地はしないな。通り沿いに社頭を構える「洲嵜秋葉神社」社地は洲嵜どんぐり広場の一画にあり、広場には桜の樹が植えられ、春には殺風景な街並みに彩りを添えてくれる。この歩道を5分程行くと、同じように通り沿いに鎮座する日出神社も近い。若宮大通の建設にともない、周辺の住居や社寺は移転を余儀なくされた事だろう。社頭全景。北側に鳥居を構え右側に「洲嵜秋葉神社」の社標(1921年寄進)が立つ。この社標側面には「皇太子殿下御外遊記念」と刻まれています。門の扉には葉団扇の紋が施されている。歩道から本殿の眺め。北向きの社頭ですが本殿は東を向いて祀られています、社頭の扉は閉ざされており隣のどんぐり広場へ。どんぐり広場から本殿の眺め。本殿両脇に大きな石碑があり中央に神明造の本殿。本殿前に一対の常夜灯があり、社地を取り囲むフェンスには扉が設けられています。鰹木は6本?で内削ぎの千木が施されたもので、境内に狛犬は見当たりません。祭神は軻遇突智命。限られたスペースの社地ながら氏子の方々の手入れは行き届いています。右の石碑は修築遷座碑とあり、その下に昭和廿十一年(1946)と刻まれているのか?終戦の翌年に修築遷座されたようです。左は石碑の碑文は読み取れなかった。狛犬を探していたところ、境内左に石碑を見付ける。「戦災復興都市計画事業による百米道路建設に伴い此の地に鎮座 昭和37年7月」と刻まれていました。二つの碑文からすると神社は短期間で二回遷座しているのだろうか。どこから移って来たかとなると、やはり100㍍道路が起因しているのだろう。詳細は分からない洲嵜秋葉神社ですが、戦災や都市開発の荒波に揉まれながら漸く見つけたのがこの地。安住の地が与えられ、この地の禍除けの神として氏子達に護られている。バスや車の車窓から目にしながら訪れる機会がなかったが漸く訪れることが出来た神社。賽銭箱が見当たらず、参拝だけさせてもらいましたが、賽銭の有無で差別するような神さまではないだろう。洲嵜秋葉神社創建 / 不明祭神 / 軻遇突智命所在地 / 名古屋市中区大須1-5白龍神社から洲嵜秋葉神社 / 新洲崎橋経由徒歩15分程参拝日 / 2023/04/27関連記事 / ・白龍神社(名駅付近の神社巡り 6)・『洲崎神社』御利益一杯のワンダーランド・堀川沿いに佇む『津島社』・「日出神社」名古屋市中区大須