カテゴリ:高速路線バス
私が京王新宿高速バスターミナル(通称「西口」)でアルバイトを始めた1992年頃(当時の思い出は本ブログの最初の方の記事参照)、富士五湖線と甲府線は「共同運行」でなく「相互乗入」だった。
いつも書いているように、1980年を過ぎたあたりから「共同運行」の仕組みができ、それによって「地元の雄」である各地方の路線バス事業者が大都市側事業者と組んで高速バス事業に自ら乗り出した。彼らの力で地方部での認知度が向上し我が国の高速バスは一気に成長する。逆に言うと、共同運行(と、中央道や中国縦貫道での混乱後に定着した「クローズドドア」制度)が生まれる前は、高速バスはごく一部の限られた事業者のものだった。 一方で、京王と富士急のようにもともと事業区域を隣接させる事業者同士では、運輸協定に基づく相互乗入形式で(平場の)長距離路線バスが運行されてきた。今日でも、中野駅~池袋駅を関東バスと国際興業が交互に走るなどの例と、制度的には同じものである。そしてその区間に高速道路が開通すると(まあ、特に富士五湖線など、高速道路ができたこと自体「たまたま」ではないわけだが)、それらの長距離路線が高速経由に付け変わった。 福岡~熊本など全国に同様の例があり、若干異なる形だが国鉄バスと神姫バスによる大阪~津山(中国ハイウェイバス)とともに、上記「共同運行」が生まれるきっかけになった。京王系の中央高速バスでは、1984年開業の伊那飯田線以降が共同運行、1989年開業の松本線以降はクローズドドア制度を導入し起終点会社同士の共同運行(経路上に事業区域を持つ富士急、山梨交通などは参入せず京王と松本電鉄のみの共同運行)となっている。 したがって、私が「西口」でアルバイトを始めた当初、相互乗入の富士五湖線、甲府線と、共同運行形式の新しい路線とが共存していた。もっとも、制度そのものが目に見えて乗客に与える影響は、乗車便を変更した際に手数料が100円かかるかどうか、程度であった。 問題は、特に富士五湖線において、営業面での施策が他の路線よりも格段に遅れていたことだった。例えば座席管理システムは京王、富士急双方が開発し自社便のみ扱っていた。富士五湖線の乗客は、便ごとの担当会社の予約センターを使い分けねばならなかったのだ。担当便による不公平を回避するため年度ごとに両社が便を持ち替えており、習慣的に同じ便ばかり利用する乗客でも、年度によって電話番号を使い分けないといけなかった。なお、共同運行ではなく相互乗入だから両社とも営業所(車庫)を東京、山梨両県に設置したのと同様、山梨側にも京王の予約センターが、東京側にも富士急の予約センターがあった。 さらに運行ダイヤにも立ち遅れが目立った。(標準的な春秋ダイヤを見ると)新宿発午前は30~60分間隔でフリークエンシーサービスが提供されているのに対し、午後は13:30、14:30、16:30そして最終便が18:00と、間隔が大きく開く上にまだ明るいうちに終車が出てしまう。はるかに遠い伊那飯田線の最終は20:30に延長されていたのに、である。高速バスは既に、観光客の送り込みだけでなく現地(山梨側)居住者の東京への重要な足となっていたのに、開設当初のコンセプトに縛られていたのだ。 象徴的なのが土曜日ダイヤであった。上記のとおり新宿発午後は便数が減るのだが、土曜日だけは、13:30以降30分間隔でダイヤが組まれていたのだ。その意味がわかる方はどれくらいいらっしゃるだろうか? かつて週休二日制は定着しておらず、土曜日午前中は仕事や学校。土曜の午後からが休日という、「半ドン」が普通だった。当初は土曜の午後に今日の土曜朝のような観光客ラッシュが見られたのかも知れないが、私がバイトしていた時は既に週休二日制が定着、毎週むなしい思いでガラガラのバスを送り出していた。 両社は協議を重ねに重ね、1996年に共同運行プール精算制に移行。座席管理システムも京王SRSに統一し、それを機に現地ダイヤ(山梨側居住者が利用する山梨朝発→新宿午後発)も60分間隔化し終車も延長。「第2フェーズのハシリ」だった富士五湖線も、制度的でも営業面でも、京王自らが先に他路線で完成させた「第2フェーズ」そのものへ脱皮する。 一アルバイトながらその脱皮を生で見せていただいた私は、事業モデルを変革することの大変さを知った。同時に、時代に合わない商品を提供せざるをえない現場のむなしさ、乗客への申し訳なさから脱した解放感を今でも覚えている。あのとき、本社(京王帝都電鉄自動車事業部観光担当)が強いこだわりを持って関係者と粘り強く調整し「第2フェーズへの脱皮」を済ませていなければ、富士五湖線はどうなっていただろうかと危惧する。 富士五湖線の歴史は、過去の成功体験が大きい路線ほど、環境変化への対応が難しいことを示している。各事業者は、成功している路線ほど、<今、全く白紙からこの路線を引いたらどんなダイヤ、どんな車両、どんな売り方をするだろう>とあえてゼロベースで自問し続けることが必要だ。大都市間夜行路線では先に「第3フェーズ」化が進展している今は特に、だ。第2フェーズの成功事例ほど、変化を拒むと「生きた化石」になってしまう。 なお個人的には、時代は巡る、という思いである。「第2フェーズ化以前」からの流れで大都市(東京都、愛知県、大阪府)に高速・貸切の営業所を構える周辺県の事業者が数社ある。富士急、三重交通、神姫バス、日本交通らである。彼らにとって、今回の「新高速」制度導入は大きなチャンスだと感じている。そのチャンスを活用できるかどうか、興味深い。そのための条件は二つ。タフな交渉に勝って大都市に営業所を設置できた当時の情熱とエネルギーを、彼らが未だ持っているか。そして、そのエネルギーを、(役所や業界内との交渉ではなく)今度はマーケット(乗客)に向けて使うことができるかどうか、である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.20 11:39:14
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