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カテゴリ:定期列車
2021年9月4日、日本の多扉車の歴史に終止符が打たれました。最後まで残っていた京阪5000系。当初は6月の引退を予定していたのですが、新型コロナの蔓延による間引きダイヤの実施などにより、引退の時期が約3か月先延ばしにされたことで、何とか乗り納めをすることが出来ました。5000系の記事は3月に記していますので、そちらも参照ください。
京阪5000系 https://plaza.rakuten.co.jp/nametabi/diary/202103140000/ さよなら運転などのイベントですが、すでに車庫乗り入れツアーや撮影会が実施されたので、公式には追加は行われない見通しです。最終日はファンもそんなに多くはなく、中之島17時3分発の萱島行きが本当の最後になりましたが、大きなトラブルもなく無事運行を終えたとのことです。その最終日に撮ってきた記録を永久保存版としてここに残していきたいと思います。 運行最終日はTwitterの画像から判ったことで、運転士に手渡される運転通告票に「最終運用」の文字が入っていたことから明らかになりました。 ラストランのヘッドマーク。概ね半年間にわたって掲げられてきたこの看板も見納めです。 運転台の様子。2ハンドル式で、この形式からブレーキがHRD系統のものが採用されました。京阪でデジタルブレーキ導入のはしりとなった車両です。 車内の様子。製造当初はグリーン系の車内でしたが、製造から25年以上経過した1990年代後半からリニューアル工事が施行され、クリーム系の明るい内装に改装されました。同時に車椅子スペース設置や視覚支援のための鳴動鈴の追加などもこのときに行われています。 京阪の一つの特徴である冷房用の回転グリルは5000系が最初です。冷房車は2400系が最初なのですが、ラインデリア式の冷房であったため、冷却効果を高めるために導入されました。このグリルを搭載している車両に乗る機会は、年々少なくなってきている傾向があります。 中間車の車椅子スペース。実は第1編成と第2編成はリニューアル工事の際に中間運転台が撤去され、 新たに客室に改造をされています。その名残を妻面に見ることができます。製造当初の2編成は4両と3両に分割することが可能で、4連は宇治線で使われていた時期もありました。 運転台後方の車掌室部分。案内表示器の制御盤が追加されています。臨時扱いでの運用なので、表示器には臨時と表示されていました。 往路の最終列車は区間急行に充当されました。区間急行は守口市~京橋間が無停車なので、110km/hの高速走行で最後の花道を飾りました。 最後の色付き種別幕です。 車番は旧塗装時代はアルマイトの切り抜き文字だったのですが、塗装変更後は車番も切り抜き文字から離れてロゴに変わっています。 日本での半世紀に渡る多扉車の歴史は、通勤ラッシュとの戦いを物語るいわば生き証人であったりします。その車両が去った今、鉄道の輸送はより快適に、よりゆったりとしたサービスが求められる時代に入りました。鉄道車両は時代の趨勢や実態が反映されることが多く、車両を調べるとどんな社会背景だったかが明らかになることも実はあったりします。 5000系は技術面だけでなく、海外の車両にはないユニークな特徴を多く持つ車両でもありますので、技術の伝播という目的で、出来れば国内での保存や譲渡が望ましいのですが、こういった車両こそ英国ヨークの鉄道博物館や他の海外の博物館に残してもらいたいものです。現在は既に除籍済みの第5編成が寝屋川車庫に残っているので、何らかの再活用をしてもらえると有難いのですが・・・。 京阪は今月の下旬から減量ダイヤが始まります。これが始まると余りの編成の廃車が見込まれ、その対象は2600系0番台と2200系が挙がっていると目されています。日中はほとんどが6000系以降の昇圧後に製造された車両で賄われているので、高度経済成長期を支えた車両も段々と引退のときがきているようです。記録はお早めに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.05 09:33:54
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