赤穂事件については、いろいろな小説家が題材にとりあげた
1921年には、かの芥川龍之介が『或日の大石内蔵助』を書いた。
その二年後に、 『鞍馬天狗』を書いた大佛次郎が、1927年に『赤穂浪士』を書き、これらを基に数々の人気映画も制作された。
赤穂浪士という言葉は大佛次郎が作った言葉とされている。大佛次郎は、彼が鎌倉市長谷の鎌倉大仏の裏手(鎌倉に住んでいた頃、僕がよく行っていた所だ)に住んでいたことからこのペン・ネームにしたようだ。1964年には文化勲章を受章。
学生時代から執筆活動をしており、その延長で作家になってしまったようで、「丸善に払う為に私は原稿を書き始めたのである」と回想している。
1927年、大佛次郎の『赤穂浪士』
千坂兵部が大石のライバル役として登場しだしたのは、本作からである。