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長押 綴

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2017.04.16
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カテゴリ:
人生観って、他人に育てられるものだねという話。

・某史上最低支持率大統領の話かと思いきや

<<史上最高支持率大統領・リンカーン>>

 …の、しくじり話。

・妻・メアリーに尻に敷かれていた
・結婚前のメアリー「大統領になる男と結婚する」
・いっぺん逃げたけど結婚前に2年間逃げ回ったけど
・結局捕まって気付いたら結婚式だった
・暖炉燃やしてないと薪でボコボコにされたりと結構やばい感じだった
・その間に大統領になった
・学歴経歴なしで逆に貧しい人の支持率を得た
・奴隷解放宣言(北部は商工で設けていたので余り懐痛まない)もして支持率は鰻登り
・いじめかっこ悪いならぬ奴隷かっこ悪い宣言によって世界的に支持率も得る
・むしろあいつを敵に回す=世界的にかっこ悪いと認められる
・奴隷に作らせた農作物を売り捌いて外国との取引をしていた南部は竜頭蛇尾
・その間もリンカーンの尻を叩き続けるメアリー
・メアリーには逆らえないけど周囲の人々には力を貸してもらう為心を掴みまくるリンカーン
・現場の声も聴く
・学歴なし経歴なしついでに言うなら家での権力もまるでなし

で、これをお話する中田先生の所も同様に
妻「いい株を見付けた」→中田「いっぺん無理やと理詰めで話したけど気付いたら言いくるめられてた」「震えながらやっぱり無理やと言いましたが「ビビるな」と言われ気付いたら金屏風の前でした」
ということがあったそうで。
…これは一見してホラー話のようでもありますが、手強い敵が味方であれば非常に心強いように、


「いい株を見付けた」
「こいつは大統領になる男だ」 ※その直前に他の有望株を切っている

と、やればできると信じてもらうことは、

「信じさせる」力も同時に育てていくことでもあるのだとも言えます。

ポテンシャルがないと言っても、過剰な応援、期待や信じてるからという言葉で、底力やいざと言う時に頑張り続ける力、そして何よりも善きものを信じ続ける力……理性は育っていくのだと思います。

<<ただし同時に過剰な期待によるプレッシャーに押しつぶされないクソ強いメンタルも、
 それでもどうしようもないもやもやを昇華する器用さや相談先も必要なんですが>>


イイ話ダッタナー!


<<以下ちょっと偏執狂じみた語り方をしています。
 あーこれちょっとヤベーな、と感じられましたらブラウザバックしてください>>



さて、ここで肝心なのが応援する側の態度。
期待・理想を押し付けて、結果相手をまともな生き方を出来ない人間にすることもあるのが、
「頑張れ」という応援、
「頑張りぬけるはず」という理想、
「頑張りぬいてくれ」という期待です。
意識高い超人、鳥人を生むこともあれば、意識高い系鳥人間コンテストで墜落する人を生むことにもなります。


飛ぶ才能があれば問題ありません。
飛べなくてもいいや、あるいは飛べないなら工夫しようという気質もあればある程度は補えます。
ただ、才能も気質もぐだぐだな人はどうしたらいいのでしょうか……。
あるいは、無理して気質を補おうとした結果ろくに準備もせずに偽物の翼で落ちていく人は落下の最中にどうすればいいのでしょうか?

……飛行機に、掴まるのです。
その飛行機は、友人でも家族でもありません。
友人は好意で、家族は過去で繋がっていますから掴まる事はそれを壊すことにも繋がります。
肝心な時には共倒れにならない為に色々なことが起きます。

そういった意味ではカウンセラーさんやお医者さんが一番安全です。
お医者さんは仕事…給料と職業倫理、使命と専門知識・経験をもとに働いています。
「できない」と言っても、「言ったらやばい」と思って一度も誰にも言えなかったことも言えます。
ついでに言うなら言わないでほしいと言ったことをばらされたら訴える事が世間的に許されます。
約束を破った、こちらの理想や期待を裏切ったことについて許さなくていいのです。
「理想や期待を押し付けられるのが嫌」だから「他人にも押し付けない」行動原理を、
お医者さんにだけは、貫かなくていいのです。


さて。

これから語るのは、自分の才能のなさに悩むことが一番の問題だと言う方のお話でなく、
自分の才能のなさに悩んでいる自分にさえ自信が持てない方についてのお話です。

そういう人を生まない為にはどうすればいいのか。

「極力ダブスタにならない」
「なるにしてもその理由を理解できる形で伝える」
「自分の都合だけで振り回さない、自分の一時的な都合/気分を相手に押し付けない」
  (計画的な都合なら別です)
「やっぱり見込み違いだった、と言わない(それまで散々期待に答えさせて理想を押し付けておいて)」

このことが大事なんじゃないかと思います。

保護者・周囲の重要な存在…ひいては応援する側、が

体調崩しやすかったり
教育ママ系だったり
理想がちょっと高かったり
何かの地雷ワードに対して過剰反応したり
期待にこたえてさえいれば上機嫌だったり
世間の一般常識に対抗する何かの活動家だったり
気軽に「きちがい」などの人格否定ワードを使ったり
「私が子供の頃はもっとひどい事をされていたからお前はましな方だろ、もっと頑張れるだろ」と言う思いが根底にあったり
家庭内のポジション、立場に対する根強い拘りや先入観があってそれを否定されると話が通じないモードに突入したり
あるいはそういった話が通じない人を相手にする余り「どこかで借りた言葉(常識、一般世論とは限りません)(むしろちょっとニッチなワードの方が…)」「どこかで借りた皮」を使う事が日常になってしまっていたり

などの場合、これをあんまり満たせないことが多いんじゃないかと思います。
<<これが世の中の何割の親御さんを占めてるのか知りませんし
それよりもちょっとアレな親御さんに比べたら天国なのかもしれませんが>>
リンカーンと中田先生は大人ですが、こうした期待と理想を向けてくる保護者に対する存在は、
概ね子供です。

この場合、あまり器用でない子は、特に「優しい」もしくは「面倒くさがり」もしくは「他にもっと注力したいことがある」からある条件下においては進んでレールを歩んで、夏休みの調べものなども親に言われたテーマでやるような子は…
どんどんどんどん歪んでいくことがあります。
元から意志が弱いゆえに、進んで歪んでいく。
元から歪んでいるゆえに、より歪まされていく。
そうしてどこからが自分のせいで、どこからが他人のせいか分からなくなっていきます。

この場合。

子供がクソポジティブ、「まあいっか」「何とかなるだろ」と思い続ける事は
一見して生き抜く術です。ネガティブよりもこっちの方が、「取り敢えず生きよう」と思えます。
しかしこれは実の所理想を先の自分に押し付け続ける行為でもあります。
生きる事が辛くなる、直視せざるを得ない現実を、例えば自分の弱さや才能のなさに気付くのを、周囲の気付いてはいけない目に気付くのを、未来の「おそらくもっと強いであろう自分」に押し付け続けるだけなのです。

そうして未来に向けて自分をちょっとずつでも鍛えて行こうとします。
理想の自分に、周囲や自分が求める期待する自分になろうとします。
切り捨てた筈の自分が次第に徒党を組んで精神を殺しにかかってくるのを抑えつけながら。
その切り捨てた自分が、本音が、捨てきれない核だったのか、それとも肝心な時は切り捨てられる皮なのかも分からずに取り敢えず日々生きる為に鳥のように忘れながら自由を振る舞いながら。

神経質に、期待を見逃さないように、ほんのわずかでも失望されないように。
失望されても平気であるように、鈍感鳥頭である自分をこそレッテルにしてもらえるように。
 周囲にストレスをぶつけない、悪意を抱かないで忘れるいい馬鹿になれるように。
  自由で他人には出来ない事を出来る自分で在れるように。

そうしてどんどん自分を鍛えて、歪ませて、方向としてあまりまともでない頑張りを続けます。
だけど、本人は理想と期待に応えているつもりなので、自分がおかしいということは認められませんし、そうしたことを相談すること自体を保護者から禁じられています。気付けば、誰かに相談することが恥ずかしい事になっています。

期待や理想に答えられない自分を、頭が良くも優しくもない自分を、誰にも言えません。
長年一緒に居る、居心地がいいと言ってくれる友人にさえ
「そうか、君はそういうやつだったんだな」
に似た、
あるいは、明らかに「ヤバイ人向け」の対応をされる。
自分がヤバくないと確認したくて読んだ本で見た「ヤバい人には鏡の反応をしなさい」と同じものをされる。
あるいは……「ヤバい」と思う、曝け出しすぎた人やもう隠せなくなった人を見る。
皮を被り続けるしかありません。どこかで見付けたヤバくない皮か、そこそこヤバいを。

こうして管理している自分は、自分がヤバいと自覚している自分だけは、信じていい、
自分を取り巻く自分を育てたヤバい環境とは違って正気だし、
自分を切り捨てる自分がかつて信じた他人とは違って自分を切り捨てない。

そう思うしかありません。

でも結局、皮を被り続けるだけではいけません。
周囲の期待や理想に答えられないなら、
答えられるまで頑張るか、
新たに他の角度で自らに価値を見出すか、
自分が期待や理想以外で本能で頑張れることにおいて燃えるか、
相談相手を見付けて吐き出すことが大事なのです。
弱い自分を認めて、その上で見捨てないで居てくれる自分以外の存在を。

……上の話と繋げるなら、もしかしたらメアリーさんだけは「弱いリンカーン」をある意味認めていたのかもしれませんね。

ただ、そういう人は「ヤバい」上に「持っていた筈の才能も見失った」人には稀です。

だから、そういう場合はプロに頼っていいんだと思います。
自分がヤバいと認めながらも、それを武器のように掲げたり、ポスターに掲示するようにして言いふらしたりさえせずに、ファッションのように見せびらかしたりしなければ、

頼る事は恥ではありません。やばめの弱音を吐いちゃっていいんだと思います。

理想と期待は、何故生じるのか。影があるからです。叶えられない事があまりに多いからです。
理想と期待を、何故用いるのか。影があるからです。自分のトラウマと、叶えられなかった夢を託せないかと思うからです。

叶えられないのはなぜよくないんでしょうか。

その相手が大好きだったり、あるいは人生に欠かせない人なのに同じだけの気持ちを返してもらえないから。
笑い飛ばされて馬鹿にされて葛藤も感情も何もかもを否定されるから。
その相手が体調を崩すから。その相手に頼ってもらえなくなるから。
その相手は理想と期待を叶えさせる為にこちらを生んだ・育てたから。
「こうして考えている自分はヤバくない」の対立候補・ヤバい本能が、「叶えること」の対立候補でもあるから。

色々あるでしょう。
ただ、もう一度見直してみましょう。思い返してみましょう。
その人達は独力で理想と期待に答えられるように育てようとしておきながら、こちらの声に耳を傾けてくれましたか?あるいは、それに対して本当に全部寄り添った答えを返してくれましたか?期待や理想にそぐわない時に生命や尊厳を侵すようなことをしてきませんでしたか?その時に笑っていませんでしたか?更に言うならその相手が離れたくても物理的に離れられない相手ではありませんでしたか?

その上で、理想と期待にどこまで縛られたいのか。どこまで縛られたくないのか。
どこからなら「こんな自分には本当になりたくない」なのか。
どこの部分がどちらともつかないのか。

どこの部分が、「それでも取り敢えずは日々に対処する為に頑張らないと」の部分なのか。
そうやって整理していくことが、大人として理想・期待に向き合っていきやすくなる為の段階なんじゃないかなと思います。

友人と言うのは、「皮を被った」自分を選んで好んでくれた場合が多いです。
家族と言うのは、「皮を被った」自分を好んで育ててくれた場合が多いです。

だから、
期待を向けないでくれる人。
世間やその人自身や本か何かで読んだ理想を押し付けずに、それでも
生きる術を教えてくれる人。
自分で自分を見付ける、プロデュースしていくことの手助けをしてくれる人。

そういう人に頼ることが、強くも優しくもない人としては、それでも強く優しくありたい人としては、大事です。

中身なんぞ飾りです。

「本当は優しい人なんだ…」
<<コミュ障の理想です>>

感情、気分と言う名のガスの塊が抑圧の圧力で星のようになり、更にはブラックホール化したものがいくらヤバかろうとも、
気遣い(相手に対し寛容or気遣い屋になる・言葉や手段を選ぶ)と
責任感(一度決めた事をやり通す、世のため人の為になる事をする、…どんな手を使ってでも目的を叶える)
の膜でもっていい感じに翻訳できればいい。そう私は考えます。

ついでに言うなら感情、気分を制御する…狂人になりきらない為の機能としてもう一つ自己弁護能力というものもございますが、これは度を超しますと我儘で自分の身を守れればいい人間に見えかねないものかと思います。0でもヤバい人状態になりますが。
※完全に隠すと、能面みたいで怖いと言われることがある模様

だから、可変であり見抜きづらい良い中身を探して人と付き合うよりも、その人の歩んできた道筋、歩み方、周囲の環境との接し方、そこで学んだこと、を鑑みながら付き合っていく方が安全安心なのではないかと考えます。
因みにそれが、実績で人を判断する「信用」だそうです。
(同じ大学に通う看護学部の友人から、「それが人の心に寄り添うお医者さんに、基礎として必要なものなんだって」と教えてもらいました)
信頼は、未来へ信じて託すことです。
喩えその土台となる信用が見せかけのものでも、上に信頼の塔を建てることはできます。
平常時さえ育てていけるならいい、基礎なんてどうせ非常時にしか気にしないものだと思う場合や、天変地異が起きた時は自分のサバイバルでカメレオンな脳味噌で補えるならいいでしょう。

それが難しいのなら、今からでも通常営業をしながらの補強をしたり、倒れた時に今度こそしっかり建て直す準備をしておいてはいかがでしょうか。

因みに眠っている核心…「中身」を目覚めさせるのは、至難の業かと。
それを外から呼び続けるのが「私は信じてるから」だったりするわけですが。
その眠っている者を目覚めさせるのは並大抵のことではありません。
更に言うなら、眠り過ぎて朽ちて風化している可能性もあります。
また、未だ息づいていたとしても、眠っているのには眠っているだけの理由があるもの。目覚めると一気に色々なものが狂いはじめかねませんので、取り扱いは慎重に。




けれど、ずっと走り続けてきて、心の声を眠っていないのに閉じ込めてきた人は。

「カウンセラーさんやお医者さんだけの世界」の外とも接していく為に
家族や友人と、今までと少し異なる接し方をしていく為に
自分に対し、ちょっとずつ違う接し方や捉え方をしていく為に

人生の仕切り直しとして、少し向かい合ってみることは、
たしかな意味があるでしょう。



自分で自分に、期待をできるように。
自分で自分に期待を抱くことを、許せるように。

自分は駄目な奴なのに、頑張らなくちゃいけない辛いとか
頑張らなくちゃいけないのに、自分は駄目な奴でだますことしかできないとか、
思わずに済むように。



本能を狂っていると思ってコントロールしている筈の理性まで狂っていたらどうしたらいいのか。

…と、思っても、それでも生きていけるように。何かを生かせるように。
被る側にも加える側にもならないように。



***********
因みに私の能力は、変質と偏執こそが揺るぎない力のようです。
マイナビの自己診断では、

自分自身を状況に合わせて変えられるタイプの人です。例えば、職種変更や勤務地変更や出向といった、今やっている仕事とまったく違う環境で仕事をさせられても、それほど苦になりません。また、プレッシャーに対する耐力にも優れています。

その一方で、「わくわくすること」「目新しさ」「挑戦」というようなことに価値を置き、知らない世界に飛び込むことが大切だと考えているようです。
ただし、自分の体力を過信して頑張り過ぎる傾向があるのは心配なところ。

と出ました。
そうね…冒険していろいろな文化を知ればより、調和に導く為の道具や盾が増えるからね…言葉などの飛び道具に毒が塗られていた時も民間療法や気合いだけでなく薬を使えるようになるからね…

沢山の所からそれを集められるのはテントマインド、たまに誰かの価値観での間借りマインドであればこそかもしれません。これからも、ある程度はその生き方を生かしつつどうにかやっていきたいところです。

因みに99%の適合度が叩き出されたのが記者やライターでした。激務ゥ…!
確かに他人行儀にずかずか踏み込みつついくら罵倒されても平気っていうのは当たらずとも遠からずだけどそれって単なる私の「仕事としては付き合っていけるけど正直プライベートでは付き合いたくない」って思われる部分だろうし。これは褒められてない。

そして、挑戦心と向上心は高い癖に日々ぬるめのルーチンワークをしてると飽きるらしいです。その通りです。
ゲームでも少しずつ難易度が上がってくものでないとすぐ飽きてやめます。スコアが上がってくのをあまり重視しないほうです。
その上緊張緩和してるとミスを多発する上に油断してるからだと思って大して反省もしない奴です。真面目系屑です。立派なものです。

ただ、ちょっとずつ積み上げて、前に積み上げたものを生かすことは結構好きなのでそういった方向で売り込んでいけたらなと思います。

正直これが今の活動にどう影響するのか分からなくて怖いから早めに昇華していかないと…。

私の何かあった時への対処方法は耐震と制震と免震ならどれなんだろうな…。


****


蛇足の、蛇足。

あまりきちんと育てられなかった私から、
これからお子さんを育てられる方に少しだけ言わせていただきたいことがあります。

世間的に非常識とされることを教えるなら、
どうかそのことの理由まで、そのことの根拠まで、そのことを自分が気にするようになったきっかけまで、ちゃんと教えてあげて下さい。

たとえ気軽に、気分で言ったことでも、状況による判断だとしても、
子供は保護者から教えられた言葉を金科玉条にして、世間に向かっていきます。


保護者が子供の為にあるわけでも、子供が保護者の為にあるわけでもありませんから
全部の概念・疑問についていちいち時間を割くわけにはいかないでしょう。
でも、そうだとしたら…

非常識を教える前に、まず常識を教えてあげて下さい。
厳格さを教える前に、まず赦しを教えてあげて下さい。
対立の難しさの前に、協力の温かさを教えてあげて下さい。


王道あっての非王道です。

王道なくしては荒野です。



厳格に、非常識に何故か妙に拘る、人と対立してもあまり気にしない子。
友情には振り回されないけれど、友情でもって誰かを大切にすることも知らない子。

思春期に、集団行動や集団ヒステリーが嫌になったりそういったことにトラウマがある子には妙にもてることもあります。「貴方だけは私を分かってくれる」とか言われます。
本当は分かってないけど今までに類を見ないモテ期によって若干夢見心地になり、話を合わせてしまうと後で土砂崩れが起きて「ごめん勘違いだった」と言われるのでご注意。
夢は、醒めるものです。

…どこまでも第三者目線で言うことが大事な場や、常識だけではどうにもならない、寛容だけではどうにもならない場面では必要かもしれませんが、
「色々な所に行って、表層や遠巻きで観察して知った気になる」のは実の所、深い所を知らずに育ちますし、いつにか「知らなくていい」と強がるようにもなります。本拠地がろくにないから、定住への愛もありませんし、80%で留まるということもできません。
実際疲労100%で動けなくなった時は本当に動けない時なので、その限界が来た時が命や尊厳の危機がある所でも動けなくなります。
そしてまた、本領発揮の場面に辿り着くまでに、100%のその先へ行く為に色々なものを生贄に差し出します。友情や未来や心・頭の機能など色々なものを犠牲にすることになります。

あとせっかく得た筈の友達も失います。
「ごめん、そこまでとは…」
特に中学生は、よく使う言葉です。
狼をかっこいいと思ってても実際小動物を生々しく食べている所は見られないとか、そういうことです。因みにかっこよく喩えてますが変質的なところや偏執的なところや拘りがなさすぎる所、他人への執着や興味(と言う名の期待)が薄い所などのことです。

お試しなら大丈夫。でも、加減の苦手な対立概念を受け止めきれるわけない。中学生の腕力は弱いのです。
自分も他人も責め過ぎず、次はもっとソフトな球を投げられるようになることが大事なのでしょう。

*****

<その非常識を持って世間に立ち向かうことのリスクについては私は語れるほど立派な人ではありませんが>
<リスクを語られるほど燃える冒険気質の子には、「難しいけどね」は慎重に挑むきっかけでなく、勇猛果敢無謀に挑むきっかけになりかねないかと>

*****


さてその理由として、以下ではもう少し長く、こだわって書いていきます。
読みづらかったらブラウザバックしちゃって下さい。

もう少し読めるという方は是非お付き合い下さい。

他の所で読んだ内容と自分のトラウマと、
親戚の年下の子何人かの面倒を見る事がままある
(そしてちゃんとした保護者役には未だになれない)
立場の目線をちゃんぽんで、書かせていただきます。


さて。

その瞬間には分からない、飽きて「わかんない~」と言うことも、子供にはよくあることです。
けれど概念を具体的にかつ普段の生活で役立つ形で教えていくことは、洗脳するように叩き込むよりはるかに爆弾を抱えるリスクが少ないです。

<因みにその概念を叩き込んだ後でその子供が現実の壁に直面すると、子供の気質によっては親の言葉を盾や剣にしてその壁に挑もうとすることがあります>
<大抵周囲は(?????)か(うわっ関わりたくねえ)と思うか、気長に説得を試みるけれど最終的には「うん、そういう考え方もあるよねー」と投げます>
<子供にとっては否定されることが、自分を育ててくれた保護者を否定されることにつながりかねません。ゆえに、家族以外がそんなに簡単に否定の説得をすることはできません>

そして、その非常識に対し疑問を呈したり、敢えて子供独特の試すような事を言ったとしても、
出来る限り感情任せに切れないで下さい。何故そう思うのか、ちゃんと耳を傾けてあげて下さい。そしてその時に、たとえ子供にそういわせた相手(大抵子供の同級生や何かのマスメディア)を敵視していたとしても
「それは世間がおかしいんだよ」
「それはその子がおかしいんだよ」
と、人格を1、いや0から否定するようなことをけして言わないであげて下さい。
その子にはその子の理屈がある。その子の家の教育方針がある。だけど、うちでは君にこういう子に育ってもらいたい。こういう世界を知って、楽しんで、あるいは解放されてほしい。
これは単なる一例ですが、否定でなく肯定で語ってもらえることはきっと、期待を恐怖でなく応援と……つまり答えなくてもいいけど、答えるとより楽しい事がうれしい事があるものとして、そして純粋に人の為にすることとして、とらえることができるようになると考えられます。

対立概念の完全処刑は、喩え言葉の上だとしても、子供の狭い世界ではマフィアの裏切り者の処分とそう変わりありません。
つまりは、見せしめです。

それがうまく生きていくための知恵ならともかく、子供の世界を生きづらくする知恵ならばそれは毎日子供に
「なんでこの概念に従わないといけないのかな」
「でもそれを訊いたら怒られる」
「疑問に思う自分を黙らせないと」
と思わせるきっかけになりかねません。行き着く先は自己暗示連鎖か反抗期大爆発です。

特に臆病な子や気にしいな子やそれ以外で親の目に留まっていないと思う子は、
疑問に思う、ないしは悩む自身を根っから否定された気持ちになるかもしれません。
また、同時に期待や応援、理想にある裏側の圧力に潰されそうになります。

自分の頭で考えれば、親に否定される、と思うこと。
だからその為に自己暗示を続ける事。
狂っていけばいくほど、今更正気に戻るきっかけがない事。
狂人のほうがまだ諦めてもらえる、攻撃をしないでもらえる、狂人で居よう、と思い至る事。
それを苦しいと思うかどうかは個々の自由ですが、少なくとも悪循環の一部ではあります。

世間に歯向かう事自体がかっこいいと思う馬鹿になるか、
親からもらった言葉をテープレコーダーの如く繰り返す馬鹿になるか、
自由に振る舞っている人の皮を被る、そんな自分で自分の首を絞める馬鹿になるか。

私はかつてそういう馬鹿でした。

けれど、親戚の子たちに少しずつ「親族に教えられた言葉」と、「本で読んだ物語」以外を教えられるようになったり、最近は色々な価値観を知ったり、「えっ、これ当たり前じゃないの?」と言ってなお友人づきあいを続けてくれる人が居たりして、昔よりは少しは、「これが私だ」と無理なく自己暗示しなくても自然と思える生き方を出来ているような気がします。

あと、表面から「あっヤバいな…」っていう人を見た時に身構える気持ちが把握できるようになってきました。……これまでは、ヤバいなと思ってもそれを言語化しなかっただけとも言いますが。ヤバいって思っちゃいけないと思ってたので。

1・自分の意見に固執し過ぎている人。
2・出しちゃいけない所でよく何かを出す人。
3・毎回遅刻して、結果色々な予定を合わせられなくなる人。
4・おもねることに傾注し過ぎている人。
5・ぼーっとしていて、なるほどと赤べこのごとく頷く割に、全く覚えていない人。
6・何を話しても聞く気のない人。他人をカキワリか、打ち負かすべき敵のように捉えている人。
7・誰がどう接しても同じ対応をする人。

ひとしきり接し方を工夫したのちそれでも、どんな時でもこの傾向が強すぎるなら、合わなかったんだろうなと思ってしまいます。お互いにとって不幸な出会いだったんだなと。
世間とのかかわりに重きを置かず自分の世界で生きることに慣れ過ぎている人なんだろうな、
新しい世界を知るにはいいだろうけど、ずっと継続的に関わっていくのは難しいな、というかあまり影響されたくはないかなあ、と思います。1なんて身内だしなあ…orz


ただし、7は受付に必要な職業倫理でしょう。4はお酒の場には必要と捉えられます。
1と6は戦場のような場所で必要です。2と3と5は、それでも生きていく力はある、つまり生き抜く本能は強いということです。

だから、メリハリやonoffによってそれをコントロール出来るようになれば…あるいは、それを代行できる憧れの(そうなりたいと思う)相手が出来れば、人は生き方を変えられます。

逆に、大学までぐっだぐだだとしても社会人になってスイッチが入って成功したという方もけして少なくはないようなので、いくら今の人生がぐだぐだだとしても、死ねとか自殺しろと言われたとしても、自分で自分をコントロールすることが難しかったとしても、周囲に迷惑をかけ通しだったとしても、大事なものを失って生きる意味が分からなかったとしても、悪気なく何かを駄目にしてしまったとしても、
「まずは生きてみよう」
さえあれば、リカバリーはききます。

シャッキリして、出会えて良かったと言われて、コントロールの仕方が分かるようになってきて、周囲の声を聴けるようになって、みんなに貢献できるように恩返しできるようになって、再び大事なものができて、過去の大事なものの記憶を生かしていくことが、過去に犯した過ちを未来に繋げることが、
「まずは生きること」で、可能になります。

<<自分にとって恨みのない、感情・感覚の付随する三次元の相手を苦しめて遊ぶ為に「まずは生きる」存在は対象外ですが>>

<<……私の中にもあるけれど、何故嗜虐性って存在してしまうんだろう

 狩猟本能において、同情心を起こさない為の麻酔や麻薬みたいなものなのか>>


好きなものを好きなように好きな時に書いていくことは、「まずは生きてみよう」の為の手段の一つであり、「まずは生きてみよう」の目的の一つでもあります。

そして。

いざというとき、周囲から大きな圧力を受けた時に、
書いて、描いて、現実に残したものだけは揺るぎない拠り所となります。

霞でなければ、嫌な経験でも、幸せな経験でも、生きていくための糧になります。



生きていて良かった。

そう思える場所に、人に、願わくば悩んでいる人々が出会えますように。



ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
長文乱文失礼致しました。





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最終更新日  2017.04.20 10:08:26
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