カテゴリ:山スキー
ニギニギ通信
南会津〰栃木 きのこ遠征の続きです。 2日目以降から 舞台は栃木県の鹿沼市に移ります。 鹿沼市には 私のたくさんの大切な山仲間が在住しております。 山スキー 当ブログで何度も書きましたが、私の横浜時代のホームエリアは 桧枝岐周辺でした。 数々の素晴らしい時間を共有 素晴らしいロケーションに 時に 顔面まで巻き上がる ”フェイスショット” 極上の激深パウダー 当ブログに必ずコメントをくださる 栃木の0さんをはじめ 桧枝岐の山で出会った方々 粉雪シーズンはもとより GWには御神楽沢で雪上キャンプ 周囲の急斜面を数日間 滑りまくったりも! 今年の1月29日 その檜枝岐村 大戸沢岳の沢で 大切な仲間の 鈴木先生が亡くなりました。 消息を絶ったのは1月でも 今年は雪が多くて・・・・・ 8月になってようやく先生は発見されて、自宅に帰ることができました。 その自宅 鹿沼市の先生宅に、この10月のタイミングで私たち夫婦二人揃って、焼香を上げに行くことが出来たのでした。 鈴木先生は 山スキーでも当然 数々の最高の瞬間を共有してきました。 今回 鈴木先生の奥様から 捜索時の様子や 発見された経緯を写真でくわしく説明してくださいました。 結構 淡々と話を聞いていたニギニギは ”ああ 山の大切な仲間を山で失うって まあ こんなもんなんかなあ” でも 先生がずっと愛用してきた 山スキー板↓ 実物が 居間に立てかかっていて 呼ばれた気がします。 この板を遭難の当日にも履いていたのかあ・・・ これには グッときたかなあ 鈴木先生と俺たちの 山スキーの歴史そのものだもんな このスキー板・・・ やっぱり 結構 残されたもんは平気でもないんだぜ 先生 左の板はかなり曲がってましたし、ヘルメットの破損具合とかを こうして直に手に取ってみると 事故の瞬間の衝撃の凄さを痛感しました。 でも 同時に 痛みも感じることなく、一瞬で逝っちまったんだなあ と確信もできたのです。 雪のあるうちは毎週どころか 週2回の休みをすべて 会津駒や大戸沢岳 燧ケ岳といった 桧枝岐周囲の山滑りに懸けていた 先生! そんな 好きで好きで どうしようもなかった この中ノ沢で 逝っちまったんだから 不謹慎かもしれないけど 鈴木先生 あなたは 幸せ者だったんだろうな 今は そう思ってます。 鹿沼に来て やはり良かったです。 鈴木先生とは もうひとつ 大きな思い出があります。 キノコだ たくさんの美味しいキノコの生える場所に連れて行ってくれました。 日光や鹿沼周辺 先生は犬の散歩がてらに公園とか、はては駐車場の植え込みまで そういった人里に程近いキノコ探しに長けていた人でした。 これって 本当にキノコのことがわかってないとできないことだよねえ。 今回 南会津から栃木まで 数か所のキノコポイントを3日間かけて 巡りました。 ニギコと二人で ”先生 お願い コウタケ クリフウセンタケ 採らせてえ!”などと 無茶ブリを繰り返し唱え続けていたのですが、その結果が! な、なんとねえ このホンシメジだったわけですよ この日の夜は 山スキーの0さんとBリバーさん そしてもう一人の私のキノコの師匠であるN師匠 みんなで 先生を偲んで飲むことになっておりました。 飲む会場は当然 N師匠のお店 ”しなそば 麺坊” ところが N師匠 まったく厨房に入る気配なし こちらは山で採ってきたキノコ料理を肴に シメは 自慢のシナソバで!(ちなみにカレーも絶品です) と 我々としては期待するわけでしたが・・・・ ラーメン店主の店に集まりながら ラーメン食せず なんとも ブログオチとしては 美味しい展開に! 流石 N師匠 ただでは収まらない! きっと 世の中 常に自分の思い通りにはならないんだぞ! と身をもっておしえてくれたんだなと 勉強になります 結局は 近くの居酒屋に出向いて 飲んだわけでした。 それにしても N師匠の店で いつまでたっても出てこない料理に業を煮やした山スキー仲間のOさんが、”じゃあ近くにいい居酒屋無い?” と聞いた直後のN師匠の顔・・・ ああ、人って本当に嬉しいときって、こんな表情するんだな、のお手本のような図。 ”う〰ん、あるよ あっ、行っちゃう? ” してやったり顔 でも N師匠行きつけのこのお店 すんごく雰囲気良かったんだよなあ なんか古き良き時代の居酒屋って感じで。(外見だけでも写真撮っときゃよかったわ) 深夜にまで及ぶ飲み語り 内容はN師匠なので 下ネタ系の比率が多いのはしょうがないとしても(でも 以前より少し減ったよね 下ネタ率) 政治 歴史 原発問題まで 内容濃いものでした。 翌日は 朝早くから 本当はキノコ採りに動きたかったのですが N師匠 飲み過ぎて なかなか起きてこないもんで (ニギコも) 鹿沼の町並みをゆっくりと一人でお散歩 ああ ここはさすがに 栃木だな 大谷石の塀が印象的でした。 かっこいいよね 大谷石! 造園時代 憧れてました 散歩から帰ってきて 程なく N師匠活動開始されたので ↓ 前々日に師匠が採ってきたナメコの袋詰めのお手伝いを ちょっとだけして 懐かしくも 少しほろ苦い 鹿沼の地を離れたのでした。 向かった地が 前回のブログで書いた 郊外の自然公園 ここはまさに 鈴木先生のフィールド 雨の中 先生のことを想い出しながら 歩いたのだよ でも 先生 ここでは コウタケはちょっと無理だったね 今回の 追悼キノコ採り? といえる3日間 終えてみて やっぱり思いました。 檜枝岐 先生と何度も何度も滑った 大戸沢岳 やっぱり 今冬 行かなければならないな、と お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[山スキー] カテゴリの最新記事
|
|