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鹿島槍ヶ岳からのお便り

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2015年06月09日
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カテゴリ:平和
昭和19年5月23日に載った信濃毎日新聞の写真。

  • 飛行兵.jpg


「多くの飛行兵を送り出させようと、母や姉らを対象に行った飛行学校一日入校。上田、佐久などから大勢が参加した」


当時、上田市には県下一といわれた上田飛行場がありました。
もともとは、昭和5年の繭糸価格の暴落による農村の救済のために、政府の融資を受けて千曲川の河原を開墾。
しかし、農業に適さないとわかると飛行場に変更。
民間飛行場として使っていたが、拡張整備して、昭和8年に陸軍省に献納して「陸軍上田飛行場」となりました。
山岳地方耐寒飛行演習に最適との評価を得て、昭和12年に熊谷陸軍飛行学校上田分教場となり、さらに拡張整備されていきます。
やがて、ここで養成された搭乗員は、特攻としてここから飛び立つようになりました。


この写真に写っている女性たちも、自分の息子を、自分の兄弟を、飛行兵にすべく説得したのでしょうか。



「母親、年寄りは情意的立場からなかなか応ぜず…最後の決定をなす…毎夜12時2ヶ月を要す」



と書いたのは、日本一多くの満蒙青少年義勇軍を出した長野県を支えた信濃教育会傘下の一つ、旧波田村波田小学校の訓導(教師)。
義勇軍への参加を進めても、母親や年寄りはなかなか良い返事をせず、毎晩、12時まで説得し続けた。そんな日が2ヶ月も続いたという意味。

命を産み出す母親は、本能的に忍び寄る危険を察知し、年寄りは長い経験から危険を見抜く……。


本能どころか、今の日本は自ら戦争を仕掛け、危険の中へとまっしぐら…のような気がする。

息子も孫も絶対に死なせはしない…と思う毎日ではあります。









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最終更新日  2015年06月09日 16時12分41秒
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