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テーマ:人間論(人対人の場合)(62)
カテゴリ:強かに生きる
自分が祖父や祖母が生きていた頃の歳になると、
どう思って生きていたかということを思い返します。 祖父や祖母は明治時代生まれでしたから、 戦争や動乱が何度も訪れ今の比ではなかった筈です。 いろいろなことが改善されていくのはいいとしても、 さほど大したことのないことまでも大騒ぎし、 事態が収まるまで静観すべきことを、 却って事を荒げて風評や批判を煽っているようです。 昔の人は自分の力で運を拓くことができなかったので、 とにかく辛抱強く物を大事にしていた人が多いです。 家柄や運、環境の良い人は家系を順調に継げましたが、 多くの人は人生のどこかで貧しい時期を過ごしました。 そんな波乱の人生を送った祖父母は、 年老いた昭和の後期では世の中がすっかり変わり、 戦争がなかったかのような平和な世の中に、 安堵を得ると共に過去への無念さもあったと思います。 そんな時に癒やされるとすれば子や孫の存在です。 善し悪しや価値観までもが変わってしまう世の中で、 何に普遍性を感じ、楽しみを見出すかも難しいのです。 今になってつくづく感じる祖父母のことです。 自分は主張や表現が下手ということもありましたが、 子供の頃から何かとかなり辛抱した局面がありました。 でも祖父母の辛抱に比べたら大したことはなく、 祖父母は辛抱することが日常的だったかもしれません。 便利になることは良いことです。 1日かかっていたことが5分でできたりするのですから。 また、現代の1日に得る情報量は江戸時代の1年分、 平安時代の一生分だと言われています。 問題に直面したり状況判断を求められても、 自分で考えることなく答を検索して解決する時代です。 誰かと相談して知恵を出しあっていた昔とは違い、 誰とも話すことなく解決したつもりになれます。 人に悩みや弱みを言えなくなると同時に、 全てに中庸な認識を示すステレオタイプな性格となり、 結果的に多くの人が同じことを言うようになります。 さらには無意識で同調圧力に屈したり憧れを持ちます。 ごく一部の人の発信に憧れを持ったり、 多くの人が支持(フォロー)する意見に同調し、 自分の考えではないのにいつも気にしているのです。 近い人からは却って鼻持ちならない人にも見えます。 一度知ってしまった便利を不便に戻すことはできません。 真の考えや思いをアウトプットできない人が増え、 それらが倫理を気にかけない刹那的な行動に馳らせます。 遂には戦争や暴動に参加したりするまでになるのです。 前にも書きましたが、日常的に情報を得るにあたって、 話題のチョイス、発信の意図、表現や演出を見て、 少なからずストレスを感じることがあって困ります。 世の中が良い方向に向かっているとは思えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.04 00:50:02
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