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カテゴリ:病気の話
おはようございます! 以前、小学校1年のときに『心房中核欠損症』で 大手術を受けたお話をいたしましたネ。 今日は、手術のあとのながぁ~い、ながぁ~~~ぃ入院生活の 記憶をたどってみたいと思います。 よろしかったら、長文ですがお付き合いくださいませ♪ 先天性の心臓病 先天性の心臓病2 と、そんなこんなでスミコは 生まれながらの体の定めに翻弄されながら、生死をさまよう大手術を受け 手術後に目覚めてから、先がまったく見えない 入院生活をよくわからないまま始めることになりました。 退院までは半年かかりました。 手術後の血液検査で肝臓の値が、すこぶる悪くって すんなり退院できなかったからだそうです。 けれど本人は、だんだんと体力がつき手術後に元気になるに連れて じっと安静にしていることが、つらくて・・・つらくて 退院日が待ちどうしくって、待ち遠しくって。 暇でヒマで死にそうなくらい退屈な6ヶ月の長い入院生活を なんとかかんとか、こんなことをしながら過ごしていました。 ------------------------------------ 術後はナースステージョンのすく隣のICUとかCCUとか呼ばれている 大部屋で手術をして1ヶ月くらいを過ごしました。 その部屋にいるときは、まったくの完全無欠な寝たきりです。 起き上がることもめったになく、ただただ天井を見つめる日々。 看護婦さんや時々様子を見に来る先生から、受ける質問に答えるために 口のあたりの筋肉を少々動かす以外は、まったくの静止状態でした。 付きっ切りの母には、痛いから足のかかとをさすって~とか、 点滴でまっすぐにしたままの腕が痛いからさすって~と要求を連発。 その都度、言うとおりにしてくれ、母の肌に触れることで 不満と不安で一杯の心も、それなりに安心と平静を得て耐える日々でした。 どのくらいたったかはよく覚えていませんが、その大部屋の隅っこの ベットに移動したころは、少しずつ体を起こしてよいといわれ 起き上がって自分の足元のほうを見たときには、世界が広がったような感覚で 自分の足に少し力を入れてみて、思うようになんとか曲がると あ~この感覚の連続で歩いていた記憶がだんだんよみがえりました。 歩く練習を始めるようになったときには、前にも書きましたが 笑いすぎて足に力が入らないような、くすぐったいような むずがゆいような、とっても変な感覚でおかしくって笑いが止まらなかったです。 母に抱えられながら、はじめはベットのふち両手で持って腕の力を使って・・・ 次は片方の腕だけでできるように。次は母に前に立ってもらって 手をつないで・・・と、だんだんと歩けるようになってくるのは とってもうれしくって。。。 そんな有頂天な気分でも、すぐ隣には手術を受けたばかりの人が 横たわっているわけですから、キャッキャ(+)キャッキャと はしゃぐことは許されず、何を言うのも小声で息苦しかった毎日でした。 ----------------------------------- とうとう、ICUから出て、母と二人で寝れる個室に移れる日が来たときには あ~、これで、おもいっきり普通にお話ができると小躍りして喜びました。 決まった時間に看護婦さんや医師が巡回する以外は、ずっと好き勝手できます。 じっと静かにしているのも限界が来ていましたから 誰にも気兼ねなく、母とおしゃべるを楽しめるこの日を待っていました。 それに、個室に移るということは、少々のお散歩も許されるってことなので 小学1年生とはいえ、院内の売店に行って本も立ち読みしたかったし きれいなノートや良いにおいのする消しゴムとかも買ってもらいたかったし 中庭の花壇のお花も見たかったし、したいことが山盛りで それがやっとかなう日がやってきた喜びで、心が一杯になりました。 夢が一気に現実になる日がやっと来たんだと思うと 叫びたくなる思いでした。\(@0@ / うぉ~!!! 売店にはマスクをして、週に1回くらいなら行ってもよいことになり さっそく母の買い物に同行し、子供向けの本や文房具の品揃えをチェックし 母が買うものにケチをつけたりして、買い物気分を久々に味わって楽しみました。 それも飽きてくると・・・ まず。駄菓子が食べたかったのですが、その売店には大袋のおせんべいとか 普通のお菓子はあっても、スミコの大好きなクジのついた駄菓子などはなくって 欲深いスミコちゃんは、新たな不満が募ってきました。 くじのついたヨーグレット(?)とか、ガムとか麦チョコとか あれもこれも、頭の中を飛び交ってモンモンとネ。 母にそのことを話と、病院の売店にはそういった駄菓子は売っていないから こまったわね~と、とほおにくれていましたが、その内 その病院の外の最寄り駅まで行った商店街なら、駄菓子屋さんがあるかもしれないから 探して、そこで見てきてあげるというのです。 そういって買い物に出かけた母の帰宅を、うずうずと待っていると。。。 スミコがほしいといっていた蓋の内側に『くじ』のついたヨーグレットや ガムをちゃんと買ってきてくれて、大喜びしました。 入院前は、毎日のように母や父や祖父母におねだりして お菓子を買ってもらっていた、あの空気を久々に味わって、 まさしく生き返った気分でした。
しかも、なんと、母は、お店の人にお願いして、もし当たりが出たら 次のときに持ってきてくれれば、あたりの賞品をもらえると話をつけているのです。 普通は駄菓子のクジは、その場であたったことを申し出て 賞品や商品と交換する暗黙のルールがありますが、掟破りな約束に ビックリでした。心のそこから母を尊敬したものです。 母の力は無限大だぁ~!って感じネ。 も~、何もかもがバラ色に見えるくらいうれしかったワンv ニカニカしながら、ヨーグレットの蓋をめくると 残念ながら、ぜんぜん当たってなくて、蓋を上げるたびに 母と『あ~残念~っ』と大げさに二人でがっかりしたものでした。 めったに当たりくじは出ませんでしたが ある日は、小豆のお菓子が入っている袋の中に当たりくじがはいっている 駄菓子で、大当たりが出て、母と万歳三唱して喜んだこともありました。 小さなあたりの札を、なくさないようにベットの横の引き出しに入れて 何度も何度も、なくしていないか確認したり。。。 大当たりの賞品がどんなだったか気になって気になって、落ち着かないので 買い物に行かないのか?!と毎日のように母をせっついて やっと賞品と交換してくれた日は、今考えれば安っぽいプスティックの おもちゃだったのに、宝物でも掘り当てたようにうれしかったです。 けど、タケトンボみたいな男子向きのおもちゃだったから、結局は お見舞いに来てくれた弟に気前よくプレゼントしてしまいましたっけ。 母が買い物に行くときには、自分の心もいっしょに出かけるような気分で うきうきしました。その都度、母が、今日はどれがほしいの?と ほしいお菓子の注文を聞いてくれるので許されたお小遣いの範囲で、 これを3個とあれを2個買ってきてねっ。と、買い物計画を必死で考えて 細かく注文をしたものです。 話は前後しますが、この駄菓子屋さんには退院の日に母といっしょに 挨拶に行きました。母が『これが娘なんですよ~』と、母の後ろに隠れていた スミコの背中を押して、おばさんに紹介してくれました。 お店はスミコの想像していたイメージと少し違っていました。 本業はクリーニング店で、クジや駄菓子は隅っこのほうに少し並べているだけ。 出てきた店主のおばさんは和服の人で母より年上だけど、おばあちゃんほど 年齢が行っていない女性でした。 スミコがペコリと挨拶をすると『まぁ~。元気になってよかったね~。長い入院で えらかったね~』と、いろいろと言葉をかけてくれました。 おばさんの勢いに圧倒されたスミコは『うんっ』と、小さな声で返事するのが 精一杯でした。 母とその店主は話がいろいろとその後もしばらく弾んでいました。 長い不慣れな病院生活の付き添いで、母も話し相手がほしかったんだと思います。 病院の近くでクリーニング店を切り盛りしている、たのもしいお姉さん的な存在 だったのかもしれません。 そのお店には、その後も退院後の通院のたびに、母は少しのおみあげを 持参して、スミコと訪問し近況を伝えていました。 そのたびに『あら~!元気になったねぇ~。』と出迎えてくれ喜んでくれました。 記憶が定かでない部分もあります。 母に聞けばお店の名前はわかるかもしれませんが、スミコは 残念ながら苗字も屋号も忘れてしまいました。 長い入院中には、まだまだエピソードがたくさんあります。 次回は、入院中のお友達についてお話したいと思いますにゃ(^-^/ ---------------------------------- にほんブログ村 『1』ポチで血糖値が『3』下がりますにゃ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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