88.珊瑚海海戦(8) 井上長官は左手の人差し指で命令書をたたきながら、「間に合うかい」と言った
(カモメ)この時、翔鶴を護衛する日本の戦闘機は、翔鶴直衛隊と瑞鶴から飛び立った瑞鶴直衛隊が共に立ち向かいましたね。(ウツボ)そうですね。デバステーター雷撃機は旧式であったため、ほとんどがゼロ戦の餌食となった。そのため翔鶴に一発の命中魚雷を得ることができなかったんだ。(カモメ)しかし、その中に一機だけゼロ戦の網をかいくぐって翔鶴の左舷から肉薄するデバステーターがいました。旋廻を終わって射点につきつつ、その機首は正しく翔鶴の艦首前方五〇メートルに向いていました。(ウツボ)それはまさに好射点だった。翔鶴もやっと舵を戻したところなので、このままでは交わし切れない。一番近くにいたのは翔鶴の宮沢武男二飛曹の機だった。(カモメ)そうですね。宮沢は急いで高度をとりその雷撃機に二〇ミリ砲を発射し続けたが、あわてていて当たらない。ついに二〇ミリ弾が切れた。(ウツボ)再度上昇して七・七ミリに切り換えてこの雷撃機を撃墜する余裕があるかどうかだったんだね。恐らく間に合わない。(カモメ)それで次の瞬間、宮沢のゼロ戦はこのデバステーターに体当たりを敢行したのですね。魚雷を抱いたデバステーターにゼロ戦が激突し、もつれるように海面に大きなしぶきを上げた。(ウツボ)城島艦長も双眼鏡でこの体当たりを認め、深く感動して、後に乗組員全員にその功績を伝えた。(カモメ)「完本太平洋戦争(一)」(文藝文庫)に江間保大尉が「「九九艦爆戦記~珊瑚海海戦」と題して寄稿しています。(ウツボ)それによると、5月8日、レキシトンとヨークタウンを攻撃して江間機が敵空母から離れていると、前方から敵の艦上偵察兼爆撃機が一機近づいてきた。(カモメ)敵はただの一機でしかも戦闘機ではなかったので気は楽だった。そこで艦爆同士の一騎打ちが行われました。(ウツボ)巴戦となり、江間大尉は敵の顔の見えるところまで近づいていって、一撃を加えると、さっさと避退した。(カモメ)艦爆の目的は果たしていますからね。そのまま敵と反航になったまま、集合地点に向かった訳ですね。(ウツボ)そう。集合地点に行き、戦闘機や艦攻などと編隊を組んで帰っていると、今度は敵の戦闘機や艦爆などの攻撃隊が、やはり攻撃を終えて帰ってくるのにばったり出会った。(カモメ)戦闘機同士はそこでまた、空戦を始めました。しかし、江間大尉たち艦爆はその場を離脱しましたね。(ウツボ)艦爆はまともに敵戦闘機と空中戦を行なうと不利だからね。不利な戦いは無理してしない。(カモメ)この時点で米軍の空母二隻のうち、一隻は撃沈、もう一隻も中破の状態でした。(ウツボ)だから日本側は翔鶴が無傷だったのでさらに第二次攻撃隊を出して追撃すれば、残りのヨークタウンや護衛の戦艦、巡洋艦などを撃沈できた可能性があった訳だ。ところが、MO部隊五航戦は攻撃を中止したんだね。(カモメ)これについて「凡将山本五十六」(徳間書店)によると、珊瑚海海戦の総指揮官、第四艦隊司令長官・井上成美中将は、味方の攻撃機が敵空母二隻を撃沈したという報告を半信半疑で聴き、次の手を考えていた、と記されています。(ウツボ)作戦参謀兼務の航海参謀土肥一夫少佐は「総追撃」の命令書を作成し、先任参謀の川井巌大佐、参謀長の矢野志加三大佐のサインをもらって、井上司令長官に提出したんだ。(カモメ)そうですね。すると井上長官は左手の人差し指で命令書をたたきながら、「間に合うかい」と言った。土肥少佐は、井上長官がなぜそういうのか不審に思ったが、自信があったので「間に合います」と答えたということです。(ウツボ)井上長官は土肥少佐の顔を注視していたが「そうか」と言って自分もサインをした。ところが五分後に、「第五航空戦隊司令官より、ワレ北上ス」という暗号電報が届いた。(カモメ)それは、原忠一少将から南方にいる米国機動部隊の残存部隊から離れるという電報だったのです。(ウツボ)その時井上長官が「攻撃を止め中止せよ」と言った。まるで井上長官は全て分かっていたようであった。(カモメ)ただちに作戦中止電報が発信されました。