183.沖縄玉砕戦(3)広大な台湾を防衛するのに、こんな兵力では問題にならない
(カモメ)この第九師団引き抜きの発端は、昭和十九年十一月一日頃、第三十二軍に対して発せられた大本営作戦課長・服部卓四郎大佐からの一通の電報でした。(サヨリ)その電文を読んでみます。「第三十二軍より、一兵団を比島方面に転用することに関し、協議したきにつき、高級参謀八原大佐を三日夕までに台北に参集せしめられたし」。(ウツボ)これは第三十二軍の沖縄防衛に関する作戦計画を根本的に覆す重大な内容だった。(カモメ)この電報を受領したのは、第二十四師団の演習中で、当時の第三十二軍の牛島軍司令官、長勇参謀長(陸士二八・陸大四〇)、八原高級参謀の三人が嘉手納の近くの民家で夕飯をとっている時でしたね。(ウツボ)そうだね。あまりにも唐突な電報なので、両将軍と八原大佐は異常な衝撃にうちのめされた。そして、暫し言葉も無かった。防衛体制、訓練、築城など日ごとに進み、希望に満ちた猛演習中だったから、その驚きは一段と激しかった訳だ。(カモメ)八原大佐は、台北に携行すべき軍の意見書を起案しました。軍司令官・牛島中将は、静かな口調ではあるが断固たる決意を示したのです。(ウツボ)だが、このような場合、熱狂的になる軍参謀長・長中将は不思議に冷静で、八原大佐に「台北会議においては、黙してこの意見書を提出し、多く論じてはならぬ。軍司令官の決意はこの書類の中に協力に示されておる。沈黙こそ、全般の空気を軍に有利に導く所以である」と述べ、戒めた。(サヨリ)その牛島軍司令官の意見書を読んでみます。「一、若し第三十二軍より一兵団を抽出せらるるに於いては、それが沖縄島たると、宮古島たるを問わず、抽出せられた島の防衛に関しては、軍司令官は責任を負うに能わず」(カモメ)「二、必ず一兵団を抽出さるる場合は、在宮古島の第二十八師団を可とす」(ウツボ)「三、若し、軍より一兵団を抽出し、さらにこれが補充として、他方面より一兵団を軍に増加せられる計画ならば、むしろこの後者の兵団を、直接比島方面に増加すべきである」(サヨリ)「四、軍としては一兵団を抜かれるほどならば、むしろ軍主力を持って国軍の決戦場である比島に馳せ参ぜんことを希望する」(ウツボ)以上の意見書は八原大佐が一時間思考し起案した。それを長軍参謀長が若干字句を修正し、牛島軍司令官がそのまま裁可した。(カモメ)十一月三日早朝、高級参謀・八原大佐は台湾軍差し回しのMC機に乗り、小禄飛行場を出発しました。途中宮古島で休憩し、北部台湾上空をまわり、夕方台北飛行場に着きました。(サヨリ)第十方面軍司令部では関係者一同が参集待機していました。八原大佐(陸士三五・陸大四一恩賜)を待っていたのは、大本営作戦課長・服部卓四郎大佐(陸士三四・陸大四二恩賜)、課員・晴気誠少佐(陸士四六・陸大五三恩賜)、第十方面軍参謀長・諌山春樹中将(陸士二七・陸大三六)、副長・北川潔水少将(陸士二九・陸大四一)、高級参謀・木佐木久大佐(陸士三三・陸大四四)、作戦主任・市川治平中佐(陸士三七・陸大四九)らでした。(カモメ)八原大佐は、牛島軍司令官の意見書を一同の面前で朗読した後、これを諌山中将に手交しました。そして長軍参謀長の訓えに従い、薄気味悪いほど多くを語らなかったのです。(ウツボ)だが、彼ら台湾の第十方面軍の主張は、「台湾から第十師団と機動旅団を比島決戦場に転用されたので、台湾には三流の師団が三個内外のみしか残っていない。広大な台湾を防衛するのに、こんな兵力では問題にならない。第三十二軍は第十方面軍の隷下にあるのだから、方面軍司令官が第三十二軍の兵力を自由に移動する権利がある。大本営はこれを認めてほしい」というものだった。(カモメ)これに対し八原大佐は、「米軍の戦略的な情勢分析から、米軍は台湾ではなく、沖縄に上陸する公算が大である。方面軍は、台湾のことばかりでなく大局的に冷静に判断すべきだ、それが方面軍の役目だ」と思ったが、長軍参謀長の「黙っているのが最上」との訓示を思い出し、方面軍の意見をただ黙殺したのです。(サヨリ)けれども、会議終了後、八原大佐は、このような自分の態度が良かったかどうか困惑しました。第三十二軍の運命を決するこの重大な会議で一言も言うべきことを言わなかった自分の態度になんとなく悔恨の情が残ったのですね。(ウツボ)そうなんだ。少なくとも第三十二軍の作戦構想を説明し、築城訓練の重要性、ならびにこれを完成させるには長期の月日を要する点など強力に主張すべきだと八原大佐は思った。(カモメ)大本営の服部課長はこのとき、第三十二軍から一個師団を抽出しても、後でさらに他より一個師団を補充するつもりだったのです。だが、それは八原大佐には伝えられなかったし、実行されませんでした。(ウツボ)会議終了後、服部大佐と八原大佐は一緒に便所に立った。八原大佐は「第三十二軍には独立迫撃大隊(十五サンチ砲二十四門)が二つもあるが、弾薬が一発もない。これではこの二個大隊は無きに等しい。弾薬を至急送ってもらいたい」と頼んだ。(カモメ)ところが、服部大佐はどう勘違いしたのか、東京に帰るや、すぐこの二個大隊を比島方面に転用すると電報を打ってきたのですね。(ウツボ)そう。服部大佐は何を考えているのか。八原大佐は、まさに唖然とした。