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カテゴリ:生活
人口500人くらい山の中の村で、80歳近い老夫婦が暮れから山に入って帰ってこず、年が明けて山中で死んでいるのが発見された。いまさら政治の無策をいうつもりはないし、いっても無駄であろう。むしろ、この2人の死に方に感銘した、といえば言い過ぎだろうか。
同居する肉親は居なかったらしいが、子ども夫婦も居ないわけではなく、後に残された者の世間体の悪さや納得の出来ない思いもあろうが、それにも増して、死を決して、山道を辿る老夫婦2人の姿に心打たれるものがある。 どちらが言い出したのだろう、どうして従う気になったのだろう、決して反語的な意味ではなく、素直にその気持ちを聞いてみたい気がするのである。姨捨山以後、生きすぎた老人の死の決死方は老人にあるのではなく、医者や家人に握られていた。それを自身の手に取り戻したという意味でメルヘンなのである。 寒さと餓えで消えゆく意識の中で、彼らは何を話したのだろうか。それは決して悲惨な死ではなかったと思うのは、私だけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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