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カテゴリ:今日、考えたこと
昨年秋から公益社団法人に昇格した南信州地域資料センターなどで捨てられそうになっている地域関連の書籍・写真などの印刷物を仲間と収集したり、もはやマス・メディアとはいえない数百部単位の地域の記録や個人史などを出版する仕事をしていると、アベノミクスやインターネットなど目先の経済や結果ばかりを追う社会、またその研究そのものの方法論や発表の仕方が次々に変わって行く世の中の動きに、逆行しているとまでは言わないが、どうも本流とは違った流れの中に立っていることをヒシヒシと感じる。自分自身はネットも電子辞書も使いながら、やっていることは、そうした流れとは反対方向にあるアナログな資料探索・保管である。まだ、それなりの意味はあると思うが、どうも主流ではないし、流れゆく先も、かなり違った方角のように思える。
そうした戸惑いや不安は、むかし、標識や登山道の整備されていない南アルプスの山々を経巡っていた時に感じた、この道でいいんだろうか、という不安によく似ている。獣道と紛うばかりの荒れた細い道らしきに踏み跡を、地図と磁石と太陽を睨みながら、山小屋や山頂に歩み出す不安である。人に出会わないときは、踏み跡がたよりだが、その踏み跡も岩場で消えたりする。本当にこの道でいいんだろうか・・・ もともと短歌などの素養もないが、ひょんなことから入手した淘綾の色紙が書斎(本置き場)の机の横に架かっている。そして数年前から、正月になると玄関の絵も加藤淘綾の「海老」の絵に架け替える。 加藤淘綾は日本画家・アララギの歌人、そして登山家であった1人の奇人である。 「谷ふかく人に遭はざる路のべの石にしばしばわれは憩ひぬ」 扁平斜体のかかったような独特な書体、淘綾のちょっと一徹な神経を感じさせる。 この短歌は、調べてみると、昭和18年2月刊の歌集『霧苔』(八雲書林)の昭和12年「信濃遠山谿谷」20首のうちの1首である。 廬溝橋事件から日中戦争・太平洋戦争に向かう時局の中で、よくこんな瀟洒な本をつくることができたと感心する。見返しは、落葉の押し絵が色擦りになっており、序が斎藤茂吉、題簽が安田靫彦の自筆、紙こそ酸性紙で退色が著しいが、コロタイプ印刷のような精緻な自筆挿絵も二葉挟んである。 今でさえ人影まばらな赤石山脈への道を選び、天井を仰ぐようにして見なければ空も見えない深い谿の底で、日本が戦争に突入して行くなか、淘綾は何を考えながら深山幽谷に佇んでいたのだろう。しかし、その佇みの時間が彼には必要だった。 淘綾の戸惑いや不安の中に、また悲壮な決心も読み取れるのである。 あやかってというわけではないが、心細い道を歩む応援歌のように、ここ数年、正月の度に、淘綾を思うのである。 淘綾については既にこのブログにも何度か書いた。上掲の本も、もう忘れられていて希少本になったのだろうか、Amazonなどでは高値がついているものもある。また「山岳画家加藤淘綾 歌と旅の人生」という評伝もあるので、興味のある方は図書館などで探してほしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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