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2007.01.05
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カテゴリ:宮城
東北開発と合わせた東北の鉄道建設は、中央政府の強力な推進と各県政界の熱意であるが、地元の民間人にも鉄道の意義をいち早く察知して尽力した人たちがいた。その1人が大河原の尾形安平(初代)である。

日本鉄道会社の東北本線建設に際して難点だった株金募集にさいして、尾形安平は率先して仙南の素封家に株応募を勧め、佐藤源三郎(大河原)、竹川重右衛門(同)、渡辺佐吉(白石)、飯淵七三(船岡)などが応じた。

また越河桑折間の県境の急勾配(25分の1)に対して、阿武隈川沿いの角田ルートを主張する者があったため、白石-大河原-船岡の路線をいかに実現させるか、に尽力した。鉄道が町の興亡に関わることを理解していたのだ。

安平は、明治11年に私財を投じて白石川に橋を架設し(尾形橋)、対岸(本町)を通っていた東北国道を今の尾形町に移した。また当時は桑畑や河原だった尾形町を買収したが、これは後年鉄道が開通することを計算に入れての事である。株募集の3年前、大河原駅設置の8年前の時点である。その上で地元の協力を説いて回った。

ルート問題についても、沿線予定地の有力者に株を引き受けさせ、予定地を買収している安平は積極的に動いた。駅敷地と道路を寄付するなどして、明治20年の開通を迎える。

これに対して角田側は、自分は城下町で宿場町に過ぎない大河原には負けないと威張るばかりで、江尻(阿武隈川)の難所工事や用地買収にも無関心でいた。

大河原は明治23年に町制を敷いたが、仙南の道路網の要衝ともなり、その後の町勢は発展した。尾形安平の功労は多大である。

なお、岩切以北について海岸線を主張する説があったのを、利府の素封家の佐々木仁兵衛が先手を打って私有地を停車場に寄付したのも、同様の功労である。

■参考 岡田益吉『東北開発夜話・続』金港堂出版、1977年
■関連する過去の日記
 ○山形の鉄道建設熱を考える(続)(07年1月3日)
 ○山形の鉄道建設熱を考える(07年1月2日)
 ○仙台駅のはなし・続(06年7月11日)
 ○仙台駅のはなし(06年7月10日)
 ○宮城県内の東北本線のルートの話(05年11月27日)





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最終更新日  2007.01.05 05:05:35
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