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テーマ:自己啓発すすめ(778)
カテゴリ:人生を楽しもう♪
<辛かった灯油配達> 話を仕事に戻します。待望の子供を授かった私は、妻とこの小さな命のために一生懸命、身を粉にして働きました。 仕事の疲れも、家に帰り妻子の笑顔が見られれば疲れなども吹っ飛びます。 私の勤務していた会社は燃料も扱っていましたので、冬は灯油の配達で大忙しです。 11月~3月頃までは毎日が忙しく、お米の配達プラス灯油の配達を同時に行います。仕事柄、「危険物取扱者」の資格も取ることが出来ました。 クリスマス頃から年末にかけては特に忙しく、一日の灯油配達の自己記録は7キロリットルを超えています。 ホームタンクにも給油しますが、ほとんどが18リットルのポリ容器ですから、それに換算しますと7キロリットルは389缶余りにもなります。 当時は20代ですからまだ無理は利くとはいえ、流石に肉体疲労もピーク続きでした。 腰痛も相当にひどかったことを記憶しています。正直言って、もう二度としたくはありません。そのぐらいきつかったです。 <店長へ> 27歳になろうという時、一つの支店を任されることになり、私は店長という管理職の立場になりました。 私のいた店では男性の部下が3人、そしてパートの奥さん方が3人です。管理職とは言っても配達の仕事はありますし、店の管理全般業務をやらなければなりません。 売掛金の集金業務、精米工場への配送依頼、冬場になれば灯油の発注及び地下タンクの保安監督業務などなど、結構忙しいものです。 私は当初、26歳頃から29歳までの約3年間、口髭を立てていました。そして、運転免許更新の際に視力低下を指摘され、近眼用の眼鏡をかけるようにもなりました。 そんな外見的な特徴もあり、常連のお客様からなどは「ヒゲの店長」と呼ばれひいきにしていただきました。 また、たかが米屋されど米屋。そんな意識も強く持つようになり、自慢の自社開発商品である「どうづき米」の1キロ真空パックのサンプルつくります。それを近くに出来た住宅展示会場の事務局へ企画を持ち込み交渉し、土日にテントを張り、宣伝をさせてもらう現地即売会もおこないました。 米や灯油を売るにしても、ただ来る注文を待つのではなく、こちらから積極的に仕掛けていく販売方法をいろいろと考えました。 夏場のシーズンはお米も灯油も消費が減りますので、通常なら暇すぎるぐらい暇です。 しかしながら、そのような時こそキャンペーンを試みたり、チラシまきをしたり、とにかく行動し仕掛をしました。 結果、白麦というメーカーの冷麦や素麺を限定販売したり、当時では珍しかったシルバーストーンのフライパンを販売したりしました。 実は、チョウさんのところで学んだことが結構役にたっていることが多々あったのです。 そうです。「仕事を自分で創っていく」ということ、そして何よりも楽しんで仕事をするということです。 土日とパソコンから離れます。 次回、月曜日に続きます。 予告・・<米の大不況と会社の倒産> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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