…俺が知っていて相手が知らない事柄がある場合、俺は「啓蒙してやる」心意気で相手に臨む。もちろん、表現は丁寧に丁寧に慎重に相手の立場を慮りながら伝える。表現は敬意と低姿勢で挑むが、気持ちの面では強気な姿勢で取り組む。相手を強化してやるつもりで臨む。そして相手が強化されて実績を挙げれたとき、相手は俺を信頼するだろう。信頼は人間関係の始まり。人間関係は4大資源の一つ。相手の質はどうあれ、協力体制を敷くことが出来る。それに、啓蒙により強化されているわけだから役に立つだろう。築き上げた人脈を使えば大事業をも行える(やるかどうかは別だが)。より日々楽しむための基盤作りは出来る。また、人脈が出来れば狡兎三窟がまた一つ形成される。より堂々と実力を発揮出来るようになる。啓蒙は教育に近いが少し色が異なる。教育とはあくまでも表面上必要な知識や技術を伝えて覚えてもらうための手法だ。啓蒙は、より根本的な原理原則から教えていくイメージだ。教育とは知識や技術を身に付けさせる手法であるのに対し、啓蒙は智慧を与える手法とも言える。啓蒙の方が響きは格好良い。だが、どうしても抽象的になりやすい。だから現実に即した教育も織り交ぜながら行う。だいたい、この広い世の中で0.000…1%しか物事を知れてないのだ。知識や情報だけで考えたら極々一部しか世の中について知れていない。身の回りについても全てを知っているとは限らない。身の回りですら知らないことだらけなのだ。啓蒙以前に、自分の無知を知ることは大切だ。生きていく上で必要な知識や情報は極々一部でいい。全力で楽しむための知識があれば快活に生きていられる。その知識を得る智慧を身に付けるために啓蒙が必要なんだ。啓蒙を施す以上、自分自身が人一倍、啓蒙に励まなければならない。誰よりも智慧がある。そう思えるくらいに啓蒙に励んでいくんだ。誰よりも知っている。それが人に頼られ信頼される方法だ。どうすればいいか分かるというのは、それだけで十分に価値があるんだ。啓蒙とは、楽しく生きるための智慧を授ける手法であり、情報だ。人一倍勉強する。苦学じゃない。楽しんで学ぶことだ。ゲーム感覚でいい。あまり好きではないが、デュラララに出てくる折原臨也みたいなイメージだ。共感は出来るが好きにはなれないキャラクターだ。人一倍身の回りの情報を持っていて、人一倍(観察対象として)人間を愛している。独り善がりで好きではないが最大限人生を楽しんでいると言えるだろう。情報も4大資源の一つ。多く抱えて巧みに使えば世の中を広く知れるだろう。少なくとも身の回りについてはより深く知れる。何が起きているか知っているのは大きなアドバンテージだ。その上で何をするのか?そこはその人の人間性次第で大きく変わる。知見が広がれば啓蒙も可能。啓蒙により信頼を得て人脈を広げることが可能になる。個人として信頼を得れば、個人として価値があると評される。啓蒙が出来れば自ずと価値が高まる。問題解決の智慧があれば頼りにされる。そうやって信頼を勝ち取っていく。根本的な欲求を察して叶えてやれば頼りにされる。それが人間関係構築の原点だ。基本的に人は自己都合で生きている。その自己都合を助けてやれる人に信頼や人望は集まるものだ。情報や知識や智慧を巧みに使う。それは他人の自己都合を助けてやって信頼関係を築くためだ。智慧を身に付けるには啓蒙する。無知を知ること。知見が広がれば世の中をより深く知れる。上手くいくための原理原則を理解できる。その原理原則を基にして知識は広がっていくんだ。まずは自分自身の啓蒙を重視する。無知を知って知るべき知識や智慧を身に付ける。情報を巧みに使う。啓蒙力が高まったら相手にも他人にも施してやる。そうやって信頼関係を築いて人脈を広げていこう。
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