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カテゴリ:・古典
「節は亨る。苦節は貞にすべからず」
・節は亨る。剛柔分かれて剛中を得たり。 ・苦節は貞にすべからずとはその道窮まればなり。 ・説びてもって険を行く。 ・位に当りてもって節あり中正にしてもって通ず。 ・天地は節ありて四時成る。 ・節して度を制すれば財をやぶらず民害せず。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ・節とは限りありて止まるいわゆる節度を守る事。 ・節の本来の意味は竹のフシ。区切りをつけてしめくくるものである。 ・個人の健康(節制)・対人関係(節操)・政治(節義)・天地の推移(節季)。全て節あってこそ順調に進む。 ・沼沢が水をたたえている状態を示し、川の水が氾濫もせず枯渇もしないよう調節している。 ・節を守ってこそ真の幸福がある。しかし節に固執しすぎるのもよくない。節倹が過ぎて病気になるのはつまらぬこと。節倹は適度に行うこと。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ …そろそろ節制が必要だなと思い始めている。そんなときに頭に浮かんだのが易経の『水沢節』である。どんな内容か読み直して印象に残ったところは「苦節は貞にすべからず」のところである。苦しい無茶な節制は貞ではない。正しくないということだ。節度を守るというか、分を弁(わきま)えるくらいで考えておこう。川の水が氾濫せず枯渇せず調整されている、というイメージをもつ。適度に調節すること。区切りをつける。限りあるものをとどめること。「説びてもって険に行く」というのは、楽しみや喜びを頭に浮かべながら険しい道を歩むという意味なのだろう。険しい道とは節制、喜びや楽しみとは自分の望みを指す。望みを叶えるために節制する。卦象は、上に水、下は沢である。沢は悦、水は険を象徴する。だから悦から険に向かうという意味になる。沢が水が溢れないよう調整しているかたち。それで節を表しているとされている。節制というのは苦しいイメージがある。だが、それも結局は心の持ちようである。考え方を工夫すれば何事も楽しめる。例えばゲーム感覚にするため自分なりにルールを決めるのも良い。区切り毎に目標設定をして、途中経過で達成したらご褒美をやるのも良い。ルールを設けるのも節の一つである。節とは区切りという意味もある。節制を楽しむ。それが容易になれば、自分自身のコントロールがより容易くなる。自分自身のコントロールは意外と大変だ。だが、苦しんでコントロールしてはいけない。貞ではない。楽しんでコントロールするんだ。自分自身も人生も楽しんでコントロールする。そういった心構えで臨めば日々快活に過ごせる。目標の有無は充実感に直結する。目標を持って挑めばゲーム感覚で楽しめる。目標設定も節の一つではないか。ルールや目標を自分なりに設けるのは大切だ。習慣化し易くなるからな。習慣化すれば無駄なストレスを感じなくなる。ストレスはここぞという時に出せるよう通常時は習慣に基づいた無意識的な行動をしていきたい。ルールを設けて習慣化。その目的は自己コントロールにある。習慣化された無意識な言動が増えるたび楽になる。退屈さを感じるかもしれないが、いつも通りで退屈だと思うなら、それは習慣化により朝飯前と呼べるくらいに慣れてきた証だ。それは誇っていい。退屈は慣れの証。退屈に嫌気が差すなら冒険すればいい。世の中知らないことだらけだから、冒険すれば新たな発見はあるだろう。冒険するのは節による習慣化で足場が固まってきてからでいい。基盤が固まるまではルール通りの習慣化に専念すればいい。冒険先はいくらでもある。冒険はいつでも出来る。冒険前に留守を託せる人を見出だす必要はあるけどね。まずは自分自身だ。ルールを設けて習慣化して基盤を固める。冒険したくなったら留守を任せられる人を見出だしておく。これが、節の意味の一つなのだろう。「位に当りてもって節あり中正にしてもって通ず」というのは、位(役割)に合う立ち振舞いで"中正"となって通じるということだ。欲望をコントロールする。制御する。制御を楽しむことだ。自分をコントロール出来れば足るを知れる。制御の楽しみはそこにある。欲望の制御を楽しみながら行い、節度ある生活を目指していこう。 【"節度"電子書籍】 わたしの節約ノート 節度をもって、約しく暮らす【電子書籍】[ 山本ふみこ ] 【中古】〈節度の経済学〉の時代 市場競争至上主義を超えて /朝日新聞出版/内橋克人(単行本) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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