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カテゴリ:エッセイ
昨日は疲れてて、眠ってしまった。この記事は昨日書こうと思っていたことを書いてみる。どうもカレンダーに空きができてしまうのはやな感じだ。
おれはいまいち自分の文章力に自信がない。特にあることを説明する場合に、わかりやすく、人を感心させてしまうような端的な表現ができない。 おれの文章は抽象的な概念を書く場合には直接にそのまま抽象的に書く。でも、プロの作家やブログでのうまい文章家はたとえ話や比喩をうまく使い、読者に抽象的な概念を理解しやすいような文章を書いている。 詩でも小説でもエッセイでも解説文でも文章がうまいといわれる人はたとえ話が例外なくうまい。たとえばサイエンスライターは、難しい抽象的な概念を説明しなければならいことが多い。 世界でも最も影響力がありそうなサイエンスライターは利己的な遺伝子のドーキンスだ。ドーキンスのたとえ話や比喩表現は適切だし個性的だ。ドーキンスがサイエンスライターとして圧倒的な地位を獲得しているのはその著作の文章力、作家性による部分が大きい。単に彼の主張が卓越しているというだけではなくて、その考えを誰よりもわかりやすく読者に伝えることができるから作家として評価が高いのだと思う。 ここでおれは「たとえば」という言葉を使っているのだが、たとえ話をしているのではなくて、具体例をあげているにすぎない。効果的なたとえ話とは比喩を用いたり、具体例ではなく一見まったく関係のなさそうなシンプルなものや抽象概念を、より難解で抽象的なことにあてはまるように使うと効果が高い。辞書で「譬え話」を引くとその中に寓話という言葉が出てくる。 「寓話」で引いてみると。教訓または風刺を含めたたとえ話。動物などを擬人化したものが多い。と出てくる。 寓話的な表現ではその寓話で取り上げる動物や物は説明したいことのメタファー(隠喩)になっているとより効果が高いだろう。 こういうことはじつは科学とは反対の作業なのだな。反対の思考過程とも言っていもいい。おれは逆はかなりできるほうだと思う。つまり寓話やたとえ話からより高次の抽象概念を引き出すことは自信がある。このことはありふれたことから一般性を見い出すことが得意である。ということだと思う。 しかし、難しい抽象的な概念を説明するのはその作業のまったく逆で、創造性、クリエイティブな作業なのだ。おれはクリエイティブな作業には苦手意識がある。でも、物書きとして、しかも難解な抽象概念を説明しなければならないサイエンスライターとしてはそれでは失格なのだ。 このことをより単純に抽象化するとおれは帰納することは得意だが演繹することは苦手だといえる。帰納された一般的な概念から演繹してさまざまなことを説明しなければならない。物書きとして高い評価を得ている人は例外なくさまざまなことを自分の感性で帰納し抽象概念化する。その概念から演繹し巧妙なたとえ話を通してわかりやすく説明できる。 帰納したことはその人にとっては一般的な自明な概念なのだが、他の人には自明ではないこともままある。だから、よりスタンダードな用語やものや事例で説明しないと読む人にうまく伝わらない。 つまりおれはここでうまいたとえ話をでっち上げなきゃならないということだな。やろうとすると簡単なことじゃないよ。おれにはたとえ話のストックがないことも簡単じゃない原因だと思う。そもそもそういう発想自体が希薄だった。 たとえ話を作る思考過程を考えてみる。 1.まず、雑多なことから帰納的または直感的に何かの一般性に気がつく。 2.それを抽象的な言葉にする。 3.なぜそういうことを思いついたのかその思考の過程や根拠を辿る。 4.思いついた抽象概念を具体例で再構築する。 5.具体例を抽象化(理想化)して寓話化する。その際、寓話に登場するものはメタファーとしてその話を補強できるものであることが望ましい。 こんな感じかな。おれは3までは得意なのだが、考えてみると3まではほとんど一瞬の出来事で時間や手間はほとんどかかっていない。もちろんセンスの問題なのでそれまでに蓄積された知識と視点がものをいうのであるが、その理解に到達する瞬間にはほとんど手間はかかっていないし、まったく創造性はない。 4と5は創造的な行為だ。訓練が必要だ。1~3までも長い修練の成果であることはまちがいないが、何かを創り出す行為ではない。4と5は明らかに文章を書いたり人に話したりすることの技術であり、それがうまいかうまくないかでその人の作家性が評価される部分だと思う。 4と5が比較的、簡単にできる人もいると思う。でも、直感的にすぐにできる性質のものではない。簡単に思いついてもそれをうまく表現することはまた違うセンスであり技術だ。 おれの場合はとりあえず具体例に置き換える段階でつまずいてしまう。うまく表現するとかしないとかそういうレベルまで行けないことが多い。簡単に4の具体例の再構築ができる人はいると思う。それはそういう修練と習慣のなせる業なのだと思う。そこから先のうまい表現は素質と訓練が必要だと感じる。それが詩人かそうでないかの違いなのだとおれは感じている。 とりあえず、おれのこれからのテーマとしてうまいたとえ話まではいかなくても、直接的な具体例を考えるのが苦痛ではない程度の時間で思いつける訓練をしていくつもりだ。 今回の記事はかなりいいこと書いているような気がします。 評価されるべきだと思います(たとえ話はないけれど)↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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