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偽札騒動で、若干、メジャー系に、顔を出した仙台「愛宕神社」。
高校のころ、通学路に、すこしかぶってたので、割とよくいくのです。 小高い丘陵?山?にあって、仙台市が、一望できるので、爽快な場所です。 ふだんは、ほとんど、ヒトもいないのに、さすが、三が日、いっぱいいます。 石段が、急勾配で、頂上まで、続いているんです。 石段をあがればあがるほど、後ろを振り向くと、遠くの方で、海がせりあがってくるところが、かっちょいいのです。 しかも、神社では、雅楽が、アンプから、じゃんじゃん流れてくる「軟派」なところが、ステキです。 しかも、神社の裏には、寺があるんです。 神仏混交? 日本文化の伝統的なごった煮な「軟派」感が、これまた、ステキです。 そして、寺、には、「梵鐘」が、あります。 去年、村上龍の「インザ・ミソスープ」によって、潜在的な「梵鐘マニア」になっていた私は、さっそく、突いてみました。 しかも、いい年こいて初めて鐘をついたのです。 いや、昔ついたんかな、でも、失敗した気がする。 いい音させないと、恥ずかしいので、あたまの中を整理して臨みました。 遠心力を最大にもっていった時点で、あとは任せる。 「ごおおおおおおおおおおんおおんんおんんおん」 気持ちがいいので、ヒトが、つくのも、観察しながら、何度もついてしまいました。 そして、どうやら、鐘の音のおもしろさは「ごおおん」が、おわったあとの、「おんおんおんおんおん」にあるらしい(自分的には)。 人様が、つくフォームを観察し、音の響きをみていると、梵鐘の中で、響きが、反響しあって、ぐるんぐるん、まわってるのが、わかっておもろいのです。 「余韻」「残響」「共振」「共鳴」 んー、殺人鬼でも、やっぱ、癒されるのかも(「インザ・ミソスープ」) そして、定点観測したことで、やはり、ヒトの表情が、一番いきしてて、よさげなのです。 鐘をつきなれたヒト、ちょっとハニカミながらつくヒト、デカイ音させようとして逆に音がちっちゃくなっちゃうヒト、デカイ音させようとして本当にデカイ音だすヒト、スマートにつくヒト、ガキなのに鐘つき職人のような兄弟などなど。 そして、見てるうちに「鐘をつく」仏教的な意味が、わかった気がした。 ヒトが「鐘をつく」ときは、基本的に、力をいれるのは、撞木を「ひく」ときだけで、遠心力によって「つく」、つまり、「遠心力=仏」というわけだ。 映画「カンフーハッスル」を見たら、最後の戦いで、空中に吹き飛ばされると、雲を突き抜けたところで、何故か、巨大な「観音菩薩」がいて、びっくりしてしまったのだが、中国のほうでは、未だに、人々の心象の中には、あんなリアルな、「菩薩」がおるんやろか。 そして、この山頂から見える仙台パノラマの左隅には、「ウルトラマン」のように、巨大で白い「観音像」が、遠方に見て取れる。 住民には「きもい」と評判だ。 私も、「きもい」と思う。 しかし、「梵鐘」は「快感」でした。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 15, 2005 12:28:47 AM
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