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影丸@雑記帳

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2013年10月07日
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カテゴリ:歴史
002-0116.jpg 司馬遼太郎さんのエッセイ集「司馬遼太郎が考えたこと」(新潮文庫)には司馬さんの戦車に関する作品が載っています。

「戦車と文明」」、「軍神西住戦車長」、「戦車・この憂鬱な乗物」、「戦車の壁の中で」など。

 司馬さんは太平洋戦争の末期、兵隊にとられて戦車兵になったのですが、乗せられた戦車が九七式中戦車(チハ車)だったそうです。

 戦車兵の立場から、このとんでもない戦車でアメリカのM4シャーマンと戦えというのか!と言うような呪いが感じられるエッセイです。

「たとえチハ車が機械として技術史上誇るべきものであったとしても(たしかにそうだが)兵器としてはどうにもならないのである。これは技術部門の責任ではなく、要求を出した兵科部門の責任で、いかにも料簡がせまくてチマチマと複雑な思考を好む秀才軍人の作品らしい」と。「戦車の壁の中で」(第6巻所収)

 よく日本の主力戦車である九七式中戦車を「ブリキの棺桶」と悪く言いますね。
 司馬さんだけでなく、当時の日本の戦車兵の立場では、こんな薄っぺらな装甲の戦車でアメリカの戦車に立ち向かえというのか、というような自殺に等しい戦いを強要されたら当然の感想だと思います。

 しかし九七式中戦車が制式採用されたのは1937年(昭和12年)です。
 その目的は対戦車戦闘ではなく、歩兵を支援するためのもの。歩兵の前進を阻む敵の機関銃陣地を蹂躙し粉砕するためのものです。

 この目的から見ればけっして九七式中戦車は性能的に劣るものではなく、1938年当時のヨーロッパ諸国の戦車開発水準に比べて見劣りのする戦車ではないし、むしろ最優秀の戦車ともいえるものです。

 ブリキの棺桶というありがたくない渾名はあまりというものです。

 アメリカのM4は1942年から生産されたものだし、ドイツのIV号戦車や、のちのVI号戦車ティーゲルI(1942)やV号中戦車パンター(1943)と比較して装甲が薄いだの、馬力が弱いだの言うのは大きなまちがいなのだ。比較対象がまちがっている。

 問題なのは1938年~1944年まで旧式戦車を生産し続けて、太平洋戦争全期を戦わざるをえなかったということであって、装甲がどうの馬力がどうの短砲身がどうのというのはまったくのナンセンスです。

 司馬さんも九七式中戦車の優秀性は認めておられるし、ただアメリカのM4を相手に戦う兵器としては役に立たないのだ、ということをお書きになっているのですね。

 写真は「九七式中戦車(チハ車)」。世界各国の新旧戦車のなかで、私の最も好きな戦車です。
 いつかプラモを組み立てて、ちゃんとした塗装をしてみたいものだと思う。






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最終更新日  2021年06月18日 07時09分06秒
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