カテゴリ:幸福論
ひとのせいにしないで、
背負えるものは背負って、 いらないものは捨てて、 そうして、 自分の足で立つ。 それこそが、まさに幸せなのだ。 「幸せにしてほしい」とか 「幸せにしてあげる」なんて、 そんな言葉に、まどわされちゃあいけないよ。 そんな願いをかなえようとしたら、 ずっと不幸せのままなんでしょう。 自分の足で立つ人は美しい。 もし心から愛すべき人がいるのなら、 その人に「好かれよう」とするのではなく、 時に守り、時に突き放しながら、 「その人が自立するよう導く」ことが、 ほんとうに大切にするってことじゃないのかな。 「お腹がすいている人に 魚をあげても解決しない。 その人に釣りの方法を教えてあげたほうがよい。」 というのは何かの童話だったか。 自分が好かれるとか嫌われるとか 「自分」がどこかに入っていると、 他人を大切にすることなどできない。 まずは自分がどうしようもない孤独と向き合い、 そしてその上にシッカリと立ち、 自分が幸せになる。 そこで満たされる。 そうすれば、「好かれたい/嫌われたくない」の 呪縛から逃れることができる。 そのときはじめて、人を自立に導き、 またその人と、助け合い、支えあう関係になれるのだ。 あなたはこの世に、1人しかいない。 孤独に打ちひしがれる誰かを救いたいと願い、 あなたのカラダを投げ打っても、 けっきょくその人一人しか救えないのだ。 いや、本当はその人さえも救えない。 なぜなら、その人を依存させてしまうだけだから。 愛じみた、やさしさみたいな自己満足が 人をダメにすることはたくさんある。 自己満足で愛するくらいなら、 誰も愛さないほうがいい。 自らの足で立ち、 自らの足で立たせる。 それが幸せの輪を広げるのだと、 今は思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年04月14日 08時33分35秒
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