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2007.04.17
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カテゴリ:日々雑感
 宗教への理解の一助に・・・。

 イスラム教とは唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ、または
アッラー)を信じ、神が最後の預言者たるムハンマド・イブン・ア
ブドゥッラーフを通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラ
ン)の教えを信じ従う一神教である。アッラーは、99あるとされる
神の呼称の一つであり、”唯一の”という意味を含む。

 ユダヤ教やキリスト教(世界三大宗教の一つ)と同様にアブラハ
ムの宗教の系譜に連なるとされる唯一神教で、偶像崇拝を徹底的に
排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を
重んじる点に大きな特色がある。

イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神が
アラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする
宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビ
ア語を起源とする語である。

 イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の
言葉でムスリム(muslim)といい、ムスリムは、自らの教えの名を、
アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味する
イスラーム (al-Islam) の名で呼ぶ。「イスラーム」は「神への帰
依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は
「神に帰依する者」を意味する。

 なお、日本を含む東アジアの漢字文化圏では、古くは「回教」と
呼ばれることが多かったが、現在はどの国でもイスラームの名に基
づく呼称が一般的であり、あまり用いられていない。

 イスラム教の教典(聖典)は、アラビア語で「朗唱されるもの」
という意味をもつクルアーン(コーラン)である。クルアーン自身
の語るところによれば、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして
最高の預言者であるムハンマドを通じて、ムスリムの共同体(アラ
ビア語でウンマ)に遣わした啓典(キターブ)であり、ムスリムに
とっては、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も
重要な行動の指針となる。

 イスラム教では、神(アッラーフ)が、預言者を通じて人類に下
した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠りどころになると考えて
いる。

 ムハンマド以前から、神は様々な共同体に預言者を遣わして、啓
典を下してきた。しかしそれらのうちでもクルアーンは、神が人類
に啓典を伝えるために選んだ最後にして最高の預言者であるムハン
マドに対し、最も明瞭な言語であるアラビア語を用いて人々に与え
た啓典であり、アラビア語で書かれたクルアーンの言葉は神の言葉
そのもので、最も真正な啓典であるとされている。

 このような性格のために、イスラム教は、アラビア語を解するア
ラブ人のための民族宗教であるかのようにとらえられたこともある
が、クルアーンは全人類のために下された啓典といわれている。

 イスラム教の信仰の根幹は、六信と五行、すなわち、6つの信仰
箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。

 六信は、次の6つである。

1.神(アッラーフ)
2.天使(マラーイカ)
3.啓典(クトゥブ)
4.使徒(ルスル)
5.来世(アーヒラ)
6.定命(カダル)

 このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神
(アッラーフ)と、使徒(ルスル)である。

 ムスリムは、アッラーフが唯一の神であることと、その招命を
受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であること
を固く信ずる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者
は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒
なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされ
ている。

 また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五
柱ともいう)は、次の5つとされている。

1.信仰告白(シャハーダ)
2.礼拝(サラー)
3.喜捨(ザカート)
4.断食(サウム)
5.巡礼(ハッジ)

 これに、聖戦(ジハード)を6つめの柱として加えようという意
見もあるが、伝統的には上の5つである。

 これらの信仰行為は、礼拝であれば1日のうちの決まった時間、
断食であれば1年のうちの決まった月に、すべてのムスリムが一斉
に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うこ
とにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同
体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為
が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の
聖地であるサウジアラビアのマッカ(メッカ)ですべての巡礼者が
定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験
する。

 ムスリムは、クルアーンのほかに、預言者ムハンマドの膨大な言
行をまとめたハディース(伝承)に、クルアーンに次ぐ指針として
の役割を与えている。その理由は、ムハンマドは神に選ばれた最高
の預言者であるから、彼の言行のすべては当然に神の意志にかなっ
ていると考えられるからである。また、ムスリムの実生活上の宗教
や日常に関するさまざまな事柄を規定するために、クルアーンやハ
ディースを集成してシャリーア(イスラーム法)がまとめられてい
る。

 これらは教典ではないが、教典を補ってムスリムの社会生活を律
するものとされており、その範囲は個人の信条や日常生活のみなら
ず、政治のあり方にまで及んでいる。信仰の共同体と政治的な国家
が同一であったムハンマドの存命中の時代を理想として構築された
イスラム社会の国家は政教一元論に立っているのであり、ヨーロッ
パのキリスト教社会の経験から導き出された「政教分離」という概
念はそもそもイスラムに適合しないとすら言われるのはこのためで
ある。

 ムスリムはクルアーンやシャリーアの定めるところにより、日常
生活においてイスラムの教えにとって望ましいとされる行為を課さ
れ、イスラムの教えにのっとった規制を遵守する。教義の根幹とし
て掲げられる五行はその代表的なものであるが、これらは社会に公
正を実現し、ムスリム同士が相互に扶助し、生活において品行を保
ち、欲望を抑制して、イスラムの教えにのっとってあるべき社会の
秩序を実現させようとするものである。

 公正の実現と不正の否定は、イスラムの社会生活において特に重
要視されている。伝統的社会においては、個々人がシャリーアを遵
守し、イスラム的価値観にのっとった公正を実現すべきものとされ
た。公正は商取引の規制にまで及んでおり、シャリーアに適合しな
い商取引は不正とみなされる。また、ザカート、サダカなどの喜捨
の制度によって弱者を救済することは、現世の罪を浄化し、最後の
審判の後によりよい来世を迎えるために望ましい行為とされ、イス
ラム社会を支える相互扶助のシステムとなっている。社会的弱者に
対する救済はイスラムの教えにおいて広く見られ、一夫多妻制のシ
ステムも、元々は母子家庭の救済策であったとされている。

 品行を保ち、人間の堕落を防ぐために、欲望を抑制する教えもみ
られる。女性が家族以外の男性に対して髪や顔を隠すよう求められ
ていることはよく知られているが、これは性欲から女性を保護する
目的が本旨であると考えられている。酒は固く禁じられるが、それ
は飲酒が理性を失わせる悪行であると考えられているからである。
しかし、コーヒーやタバコのように、イスラム教の教義が確立後に
イスラム社会にもたらされた常習性や興奮作用のある嗜好品につい
ては、酒と類似のものとして規制する説も歴史的には見られたもの
の、今日では酒と異なって合法的なものとみなされることがほとん
どであり、いずれもムスリムの愛好家は非常に多い。

 「清浄」に対する強い意識も特色であり、動物の死肉や血など不
浄なものが体に付着したまま宗教的行為を行ってもそれは無効とみ
なされる。また、礼拝の際には、体の外気に触れている部分(手足、
顔など)は必ず水か日光で消毒された砂で清めなければならないと
されている。

 イスラム教における信徒の共同体(ウンマ)は、すべてのムスリ
ムが平等に参加する水平で単一の組織からなっていると観念されて
いる。

 従って、キリスト教におけるように、宗教的に俗人から聖別され、
教義や信仰をもっぱらにして生活し、共同体を教え導く権能を有す
る「聖職者」は否定されており、これが他宗教に見られない特徴と
されている。しかし、六信や五行に代表されるような信仰箇条や信
仰行為の実践にあたって、ムスリムを教え導く職能をもった人々と
してウラマー(イスラーム知識人)が存在する。

 ウラマーは、クルアーン学、ハディース学、イスラーム法学、神
学など、イスラームの教えに関する様々な学問を修めた知識人を指
すが、彼らは社会的な職業としてはイスラーム法学に基づく法廷の
裁判官(カーディー)、モスク(礼拝堂)で集団礼拝を指導する導
師(イマーム)、宗教的な意見(ファトワー)を発して人々にイス
ラームの教えに基づく社会生活の指針を示すムフティー、イスラー
ムの諸知識を講ずる学校の教師などに就き、ムスリムの信仰を導く
を果たしている。ウラマーは信仰においてはあくまで他のムスリム
と同列に置かれており、聖職者ではないとされているが、こうした
特徴のためにしばしば聖職者と混同されるし、実際に、他の宗教に
おける聖職者に近い役割を果たしてきた。このため、非イスラーム
教社会のマスコミなどではしばしばウラマーは「イスラム教の聖職
者 (cleric)」と報道されている。

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Last updated  2007.04.17 13:43:25
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たぬきねいり2@ 同じ事を感じました ジーゼルエンジンなら別ですがガソリンエ…
たぬきねいり2@ 昨今の 行革の著しい挫折をみると、ありそうなこ…
Paganus@ Re:違うでしょう。(08/16) たんかれいさん  文民統制の歴史的経…
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