カテゴリ:私のすきなこと
今日は文楽の4月公演の後半を見に行った。 最初の出し物は「絵本大功記」から夕顔棚の段と尼崎の段 「豆知識」 これは「絵本太閤記」ではない。つまり太閤秀吉の物語ではなく、秀吉に敗れた明智光秀の物語である。 明智光秀が謀反を起こし、敗死するまでの13日間を一日を一幕として一三幕で作られた物語である。 ちょっと新しい視点でかかれた物語で人形浄瑠璃として舞台にかけられ、その後歌舞伎でも上演された。 「前提」 明智光秀は、信長に罵倒され辱めをうけたことと、信長が神社仏閣の焼き打ちをすることなどが納得できずついに謀反を決意する。そして本能寺で信長を討つ。秀吉は信長死すの報を受け、ただちに戦場から引き返し、光秀を討とうとしている。 一方 光秀の母さつきは、主人殺しという大罪を犯した息子を許すことができず、城をでて尼崎に住んでいる。 さつきが尼崎の屋敷に住んでいるところへ、光秀の妻操と光秀の子十次郎の婚約者初菊が訪ねてくる。 さつきは「訪ねてくれるのは嬉しいが、妻としては夫の傍にいるべきだ。」といいながらも、上にあげる。 孫の十次郎はどうしているかとさつきが尋ねると、操は「父上はこれから戦にでるので、私も初陣で手柄 を立てたいが、お祖母様に一言声をかけて出ていきたいと申しておりそのこともお伝えしに来たのです。」 この戦いに道理はないがそこへ孫をだすのはせっかくいい子なのに悲しいとさつきは嘆いた。 そこへ、一人の僧が一晩の宿をさせていただきたいと門口にたった。(実はこの僧は秀吉で、光秀の様子を探りにきたのだった。その上この僧が秀吉と見抜いた光秀があとをつけていたのだ。 この時さつきは、光秀の存在に気がついている) そこでさつきは、僧を家にあげ奥の一間に案内する。 十次郎がそこに出陣のあいさつにと訪ねてくる。さつきは初菊と祝言をあげたらと提案する(この時、初菊は十次郎の視線をとらえようとしているが、十次郎は顔をそむけて視線をあわさないようにしている。ここが、お互いの気持ちを上手く出していると思う。) 女たちが支度している間、十次郎は一人もの思いにふけっている。 この戦には勝ち目がなく自分は討ち死に覚悟をしているので、初菊と祝言をあげたら彼女がかわいそうだから、やめたほうがよいのではないか 。 そのひとりごとを聞いた初菊は、飛んできて討ち死になどせず必ず帰ってきてほしいとすがりつくのだった。 しかし、十次郎の決意を翻すことはできず、形ばかりの祝言を挙げた十次郎は戦場へとでかけていくのだった。 さつきはそこで思い出したように旅の僧に風呂を勧める。 その様子を外でみていた光秀は、風呂場の外からとっさに作った竹やりを突き入れる。 しかし、そこで悲鳴を上げたのは僧でなくてさつきだった。 「お前のやった主人殺しの大罪のため、後世までも名を汚すことになる。自分の身に替えてせめていまこそ善心に立ち返ってほしい。」と苦しう息の下から息子を諭す母親。 しかし、光秀は気丈にも「信長は紂王 に勝るとも劣らぬ暴君であり、天命により自分は正しいことをしたのだ。」と志を曲げない。 しかし、そこへ手負いの十次郎があらわれ、加藤正清(加藤清正)の軍勢にやられて味方は全滅と報告にくる。そしてそのまま息絶えるのだった。 息子のために命を落とす母さつき 最愛の息子を失う操 祝言を挙げたばかりの夫をなくす初菊、三人の嘆きをきいてさすがの光秀も涙をながすのだった。 光秀の生き方にも言い分はあり、家族は事情をしらず時代の渦にまきこまれていく。当時の幕府としても謀反は大罪で、そのようなことをしたら一族が悲惨になるという抑止のメッセージを浸透させるひとつの宣伝になったと思われる。 秀吉は軍装で登場して、これから正々堂々戦いで決着をつけようと光秀と別れていくのであった。
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