カテゴリ:私のすきなこと
今日は雨が降る前に散歩に行くことができた。お天気は良くないが暖かだった。
夕方あからは雨が降り始め、私は食事会へでかけた。 左端 相模 隣 藤の方 中央 熊谷 右端 源義経 (つづき) 梶原は、弥陀六が敦盛の供養塔を建立したと聞き、施主は平家方のものだろう、あるいは、源氏の中で平家に内通しているものがいるのか、どこのだれかを聞き出そうとしたが、弥陀六も気骨のある人間なので、はっきりしたことを言わない。これはじっくり詮議をしようということで、同僚の熊谷の陣屋を訪れたのだった。熊谷が不在というので、帰るまで待つことになった。 熊谷陣屋の段(くまがいじんやのだん) 相模が一人で待っていると、熊谷が帰ってくる。相模の顔を見て不機嫌な様子。 「戦に出れば音信はできぬ、家で待てと言い置いたのに、このようなところまで何しに来た。」 「お怒りはもっともなれど、全く音信なく心配でたまらずここまでやってきました。小次郎は無事ですか」 「戦となれば討ち死には覚悟の上、無事かどうかなど覚悟のないものが言う言葉。」 だんだんに熊谷の機嫌もなおり、小次郎は平家の陣に討ち入り手傷は負ったが無事、自分は敵の大将敦盛と戦いその首を討ったと話し始める。 藤の方はその話を聞くや、座敷に飛び込み息子の敵と打ってかかる。 熊谷も藤の方を見てびっくりするが、合戦での命のやり取りは致し方のないこと、だれかれと言って手加減することはできませんと言葉を尽くす。 せめて、敦盛卿最後の話を聞かせようと詳しく様子を物語り、敵の大将と思える武者を呼び止めて戦い、組討して相手の面体を確かめたら、年若い人故どこへなりといかれよと手を緩めたが、一旦組み敷かれた以上命はないと覚悟しているとけなげにも言い切られた。源氏方の侍もなにをぐずぐずしていると騒ぐので、もはやこれまでとその首を打ち落としたと・・・ 相模も「平家方はみんな八島に逃げていったのに、敵の大将として戦われたのは敦盛様おひとり、ご立派だと思います。」と慰めるのだった。 藤の方は気を取り直し、息子の笛が手に入ったのも、何かの因縁、この笛を吹いて回向をしようと、笛を吹き始める。 すると部屋の障子越しに、甲冑を着た若者らしい影が映る、藤の方は思わず障子を開けてみたが、そこには緋縅の甲冑が飾られているだけだった。 (つづく) お母さんが帰ってくるのを待ってました。良い子にしてたよってアピールして、おやつもらっちゃいましたbyコロ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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