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驚くほどの古今東西の予言書

2014.07.31
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韓国経済テレビ | 最終更新:2014-08-01午前1:46:00

中国発の予言、「第三次世界大戦の予言?」

 

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▲中国から予測

航空機惨事とメキシコ地震のニュースを合わせた中国からの予言が目を引く。

先月30日(韓国時間)、メキシコ東部で強度6.3の地震が発生し、中国で拡散された「9·10 3次世界大戦の予言」が実現なるのではないか怪談が戻ってネチズンたちの関心が集められている。

メキシコの現地時間では29日午前5時46分ごろ、メキシコ東部ベラクルス州(州)で発生した規模6.3の今回の地震でメキシコシティのホーム·などの照明やドアが揺れるなどの振動が検出されたことが分かった。

世界的なさまざまな事故と最近の中国ウェイボで初めて流布されたことが知られている中国からの予言が話題になっている。

ウェイボーで初めて知られているが、中国発の予言は中国人が作成したもので、今年3月ごろに書かれたことが分かった。

しかし、驚くべきことに、この予言は7月17日、マレーシアの航空機墜落事故、7月23日、台湾の航空事故、7月24日アルジェリア航空機墜落事故を正確に予測​​したことが分かった。

この中国発の預言では、7月30日チリで震度8の地震が発生するとした。ただし、チリではなく、メキシコと予測が間違っていた言葉も出てくるが、ネットユーザーらは「とにかく地震が発生したのはないか」と不安な様子を見せている。

この予言が人を不安にさせる理由は、このにオンガが8月12日、中国全国を振ることスキャンダルが起こって以来、8月19日には、ロシアの地域戦争勃発、9月10日には、「歴史的な日...3次世界大戦勃発」と予測したからである。

中国発の予言接したネチズンたちは"中国からの予言は、本当にだよね""中国発の予測、鳥肌たつ""中国発の予測、怖い""中国発の予言、予言実現なるか?"などの反応を見せている。


 

霊的支柱がしっかりしなければ!!

 

 

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最終更新日  2017.10.13 22:32:55
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2012.12.24

"地球終末予言"何事もなかった... "終末論"なぜを繰り返しますが、

入力2012.12.23 16:56:08、修正2012.12.23 16:56:08

太陽の爆発で地球内部の温度が急激に上昇する。2012年12月21日になって待っていたように家が急に揺れリーダーなんて天井が崩れる開始した。

太平洋から今まで経験したこと、大規模な地震が起きたのだ。建物や道路、人々は割れた地の中に吸い込まれてしまった。数百mの高さの津波が廃墟と化した都市を飲んだ。 "


まさに地球終末の日だった。2009年封切りした映画'2012 'の場面だ。しかし、終末論が仮に映画だけに見られる現象ではない。

23日ニューシースによれば、世界のあちこちで終末論に関連する数多くの物語があふれ出ている。特に、古代マヤが作成されたカレンダーが終わる時点で21日を控えて世界が"地球終末説"にひとしきり騒々しかった。

'2012 'でマヤ暦で言った、 "地球終末の日"が素材として活用された。この映画で言った2012年12月21日"は、高度に発達した文化を誇っていた古代マヤたちが作ったカレンダーの最後の日知らされて"地球滅亡の日"となった。

マヤ暦だけでなく、この日が地球滅亡の日という根拠が、ソーシャルネットワークサービス(SNS)で急速に広がった。

まさに全世界のインターネット資料を集めて株式市場の変動をグラフに予測するプログラムである"ウェプボト"が2012年12月21日を基準として分析を拒否したというのだ。

ウェプボトこの2001年の米国同時多発テロと2004年のインド洋津波事態などを予測した知らされて"地球滅亡"の信憑性が加わった。

また、最近のビルボードチャート2位まで上がるなど、全世界の韓流熱風を主導している"サイ"も2012年地球滅亡の原因(?)で指摘された。

ノストラダムスの終末論に"踊る馬(马)の数字0が9個ドゥェルテ静かな朝から終末が来る(from the calm morning、the end will come when of the dancing horse the number of circles will be 9) "というフレーズからである。

ネチズンたちは静かな朝(the calm morning)は、韓国を意味して踊る馬(daning horse)は、サイのマルチュムを、数字の'0 "9つ(number of circles will be 9)は、ユーチューブ(youtube)で江南スタイルのミュージックビデオの10億(10億は0が9つ)回数を意味すると見込んでいる。

つまり、 "韓国から来たサイの江南スタイルミュージックビデオがYouTubeでヒット10億を突破する日地球が終末する"という解釈したのだ。

江南スタイルのミュージックビデオ視聴数は22日午前10億をユーチューブ史上初突破した。

実際に韓国人10人のうち1人は、このような終末論を信じていることが分かった。

去る5月1日、米国の世論調査専門機関の口ソース(Ipsos)が韓国人500人を含む世界21カ国1万6262人を対象に実施したアンケート調査の結果、韓国人の13%が終末論を信じていること明らかになった。また、アメリカ人の22%とイギリス人8%、フランスの6%が終末論を信じていると答えた。

このためか、世界のあちこちでは、 "地球滅亡の日"を迎え、様々なことが起きた。

中国政府は"全能の神(全能神) "という新興宗教が地球終末説を広める重要な勢力で見て1000人余りの信徒を取ってしまった。

"全能の神"は、1989年ジャオウェイ山(赵维山·61)が創始し数百万の信徒を抱えることが分かった。

ロシアは冷戦時代の核兵器の攻撃を避けるために作成されたバンカーからの地球終末を避ける24時間パーティーが繰り広げられる予定だ。1000ドル(約110万円)の入場券1000枚が皆売れるほど爆発的な人気を享受している。

しかし、終末論が世の中を騒がせたのは今回が初めてではない。

去る1992年'ダミエ宣教会"という団体の終末論が韓国を揺るがすた。国内·外9000人余りの信徒を確保していたこの団体は、同年10月28日終末が来ると主張した。

信徒たちは、職場を辞めたり、離婚をした。さらに自殺をした人もいた。当時の教会の牧師は、現在も終末が来ると主張していることが分かった。

千年を控えた去る1999年。ノストラダムスの'1999年7月、空から恐怖の大王が降りてくる"という予言で世界が賑やかだった。

続いて2000年もY2K(ミレニアムバグ)が原因でコンピュータが年度を認識しないためネットワークが麻痺して世界的混乱が来る終末論も広がった。

専門家は、このような終末論がときどき頭を上げて起こる理由3つの原因を挙げた。また、終末論を信じて、より現実の生活に充実するように命令した。

ヒョンテクス高麗大学社会学科教授は"人間は超越的で超人的な世界と現象に対して好奇心を持っている"とし、 "このように不可思議で神秘的な領域への好奇心のために終末論が大豆になるだろう"と説明した。

県教授は"現実の世界の堕落と社会の不安定性、危機意識と関連して終末が一つの"審判論"に登場する"とし、 "堕落し不条理な現実に対して"終末を迎えるはずだ"と自暴自棄になる場合がある"と説明した。

県教授は"最近、異常気象が続き、自然の恐怖意識が終末論に火をジピンダ"とし、 "人間の科学的に予測していなかった恐怖が、全地球的に拡大される経験とそれに対して無気力な人間の姿が合わさり、表示される現象"だと指摘した。

グァックグムズソウル大学心理学科教授は、 "終末論を信じている人は、すでに自分のとても多くのこと"終末"に投資したので執着すること"と言いながら"このため、終末論が続いている"と評価した。

クァク教授は、 "終末論を信じ、より自分の人生を自分で振り返ることが必要だ"とし、 "すべてを無意味と価値なく表示よりも"明日地球が滅亡しても1本のりんごの木を植える"はスピノザの言葉のように、今日私たちが住んでいる生活を充実させて生きていく姿勢が必要だ"と助言した。

世界ファイナンスニュースチームfn@segyefn.com

 

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最終更新日  2017.10.13 00:03:34
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2012.12.20

昨年の8月に、タイトル「[奇知外記] ブログ村にハルマゲドンの戦い?」と題して書いたが、その時はまだそれに至っていないとした。ところが、現在のブログ村はまさにその時を迎えている。ほぼ2/3(?)がサタン(郭グループ、中山グループ、Y評論家等)が占拠している。聖書の予言では、

統一教会もいよいよ終わりを告げず、
残った1/3から巻き返して

勝利を収める

いった「予言」が成就する時を迎えた!!

明日、2012年12月21日はマヤ・カレンダーが予言する終末である。

原理講論・終末論からは

悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。
このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。

勝利の時は見えてきた。

 

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2000/09/24の『祝福移譲宣言』に関しては、16日の日記で書いたように「文顕進様には祝福権の移譲も委譲もなし!?」です。

郭グループの郭氏自身が、『2000年9月には、顕進様への祝福の移譲はなかった』と明言されておられるのですから、ある二世さんは否定することも出来ないでしょう!!

2010年10月の祝福式参加もされなかったとなれば(顕進様、郭グループは)、参加した私たち祝福家庭とは格式がはるかに違うということです。

>ある二世さん

今後、統一教会とは別に顕進様の祝福式があるとすれば、全く天の血統とは違うということを忘れないでください。


また、gildong氏。9月にpeaceに投げかけた言葉を覚えておられますか?

peace氏への質問
http://ameblo.jp/gildong/entry-11356400081.html#main

その方々は、大部分(おそらく全員)が祝福中心家庭と見受けられるが、
貴方の記事が祝福中心家庭を愚弄しているという認識はあるのか?

……

謝罪はpeace氏が侮辱した弔問者の方々に対してすべきでしょう。

貴方のサムネールねつ造記事に関してはpeaceが全てを語りました。

 証拠のサムネール「撮影日2012/08/19」はねつ造と判明!! --補講
 http://blogs.yahoo.co.jp/naigaiten_ichikoku/36832564.html

これは、「顕進様が文鮮明総裁聖和式の乱入事件での不忠、不孝を隠ぺいするため、サムネールをねつ造したものである」との訂正記事をお願いしたにもかかわらず、未だにそれがなされていないではないですか。
(gildong氏は、デマ・偽情報の垂れ流しのみですか。統一教会の悪イメージを流布することが目的ですから、Pカフェの匿名投稿者のそれを流し続けています)

「祝福中心家庭を愚弄している」、その言葉をそのままgildong氏にお返しします。







最終更新日  2017.10.13 00:01:54
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2012.10.21

【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書』もなかなか前進しない。今回もコーヒーブレイク。

 

ノストラダムスの預言は間違っていた?!

2012年10月21日11時16分42秒 |ニューデイリースポットニュース

 

予言者ノストラダムスの預言は間違って主張が出てきた。

MBC "サプライズ"は、ノストラダムスが16世紀のフランスのみ数万人に達していた "占星術師"もなかったし、彼の予言がすべて間違っていると主張を伝えた。

1503年生まれノストラダムスは16世紀ペストの流行でヨーロッパの人口の3分の1が犠牲にされた時、自分の妻と二人の子供を失ったとする。

ノストラダムスはこの時から生と死を眺めることができない現実に疑問を抱いて未来への関心を持ち始めたという。

その後1555年に至って初めて預言書を出したとする。しかし、当時流行していた占星術の基本となる "天宮も"さえまともに描かなかったという。

した米国の研究者によると、ノストラダムスは1529年モンペリエ大学で "偽フェスト剤"を作る追放されたり​​したし、占星術また、きちんと学ばなかったということだった。

この研究は、ノストラダムスは予言の基礎もされておらず、彼の予言が間違っていると主張した。他の研究者は、当時流行した "ミラベルレス"という予言で120個近くを盗作したと指摘した。ノストラダムスが脚光を浴びるされたのは、当時の社会に不安を感じていた人々の心理を利用して象徴と中的曖昧な表現で人々を魅了したと主張した。

9.11テロまで合わせはノストラダムスの予言はその後も間違っているのだろうか。これ研究者らは "歴史が繰り返さと同じようなことが起きるのにノストラダムスはその点を利用した"と主張した。

ノストラダムスの地球終末の予言は果たしてどのようにされたのだろうか。

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最終更新日  2017.10.12 23:29:20
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2012.06.23

「統一原理に見る予言」は、原理講論の「前編」が終わり「後編」に入る。
後編は原理の聖書的解釈と、それを踏まえながら、より本質的な予言が多く提示されている。

今回は、原理の諸論から第4章までを扱う。

後編のまずは『諸論』だが、いきなり「蕩減(復帰、あるいは、条件)」、「信仰基台」、「実体基台」などといった原理用語が飛び出してくる。

「蕩減復帰」というのはどういう意味なのであろうか。どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。……堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、蕩減復帰のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。そして、このように蕩減条件を立て、創造本然の人間に復帰していく摂理のことを「蕩減復帰摂理」というのである。

……

アダムが創造目的を完成するためには、二つの条件を立てなければならなかった。その第一条件は「信仰基台」を造成することであったが、ここにおいては、もちろんアダムが「信仰基台」を造成する人物にならなければならなかったのである。その「信仰基台」を造成するための条件として、彼は善悪の果を食べてはならないと言われた神のみ言を守るべきであり、さらに、この信仰条件を立てて、その責任分担を完遂するところの成長期間を経なければならなかった。そうして、この成長期間は数によって決定づけられていくものであるがゆえに、結局この期間は、数を完成する期間であるということもできるのである。
一方、アダムが創造目的を完成するために立てなければならなかった第二の条件は、彼が「実体基台」を造成することであった。アダムが神のみ言を信じ、それに従順に従って、その成長期間を完全に全うすることにより「信仰基台」を立てることができたならば、彼はその基台の上で神と一体となり、「実体基台」を造成することによって、創造本性を完成した、み言の「完成実体」となり得たはずであった(ヨハネ一・14)。アダムがこのような「完成実体」となったとき、初めて彼は、神の第一祝福であった個性完成者となることができたはずである。

【シリーズ】驚くほどの、古今東西の予言書などと大それた見出しを掲げてきたが、蕩減復帰原理を知ってみれば、大なり小なりの違いはあっても、これまでの予言の行き着くところは、世界の終わりではなく、神様が願われた本然の理想世界であるということが理解できる。

まずは、後編の第1章「復帰基台摂理時代」は、アダム家庭からアブラハム家庭までを、第2章は「モーセとイエスを中心とする復帰摂理」について、アダム家庭で失われた「信仰基台」、「実体基台」を取り戻して「メシアのための基台」を造成してきたことについて、聖書を原理的観点から解説している。さらには、第3章「摂理歴史の各時代とその年数の形成」では、その歴史性をについて詳しく解説している。

歴史学者トインビーが『歴史は繰り返す』と語ったが、何故なのかについては言及していない。ところが、それについては「第一節 摂理的同時性の時代」で説明している。

また、第3章の2節以降は以下の表でまとめられていて、原理は、同時性の2000年周期から現代がイエスの再臨期に当たることを予言している。

 

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最終更新日  2017.10.12 23:11:00
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2012.06.17

原理の第7章は「キリスト論」である。

救いを望んでいる堕落人間においては解決すべき問題が多い。その中でも重要なものは、神を中心とするイエスと聖霊との関係、イエスと聖霊と堕落人間との関係、重生と三位一体など、キリスト論に関する諸問題である。しかし、今日に至るまで、だれもこの問題に関する明確な解答を得ることができなかった。このような問題が未解決であるということによって、これまでキリスト教の教理と信仰生活に、少なからず混乱を引き起こしてきたのである。ところで、この問題を解決するためには、創造本然の人間の価値が、いかなるものであるかを知らなければならないので、この問題について先に論じたのち、上記の諸問題を扱うことにしよう。

三位一体と重生(新生)論、それがいったい何なのか今日のキリスト教でも混乱を起こしている問題である。

まずは、神とイエスと聖霊、についてだが、特に、「イエスは神御自身であられるのだろうか」である。

それに対する答えは、聖書の記述からも "No!" である。
統一教会が異端視される理由の一つとして三位一体論の解釈が挙げられるが、原理の以下の部分を読めば、聖書的観点からもハッキリとする。

第一節 創造目的を完成した人間の価値
第二節 創造目的を完成した人間とイエス
第三節 堕落人間とイエス

イエスは創造理想を完成した人間(第二のアダム)として来られたお方である。また、聖霊もまた、本来なら創造理想を完成した人間(エバ)として地上に生まれイエスと結婚するはずであったというのが原理の解釈である。
以下の重生論は、以前は新生(論)として書かれていたものだが、原理用語の変化とともに重生(論)となった。

(一)重生論

(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊
イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。
では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。
アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。
我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロ・一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリント・一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。
ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。
すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント・一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。


さて、予言としていえば、2000年前のイエスと聖霊のように、イエスが十字架で亡くなって復活後、神様とイエス・聖霊が三位一体をなして霊的新生でクリスチャンたちが生かされたように、イエスの再臨の時は、今度はこの地上に真の父母として来られ、神様と三位一体をなして全人類を罪のない人間として生み直してくださる、ということだ。

(二)三位一体論

創造原理によれば、正分合作用により、三対象目的を達成した四位基台の基盤なくしては、神の創造目的は完成されないことになっている。したがって、その目的を達成するためには、イエスと聖霊も、神の二性性相から実体的に分立された対象として立って、お互いに授受作用をして合性一体化することにより、神を中心とする四位基台をつくらなければならない。このとき、イエスと聖霊は、神を中心として一体となるのであるが、これがすなわち三位一体なのである。
元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。したがって、神の三大祝福完成による地上天国は、そのとき、既に完成されたはずであった。しかし、アダムとエバが堕落して、サタンを中心として四位基台を造成したので、サタンを中心とする三位一体となってしまった。ゆえに彼らの子孫もやはり、サタンを中心として三位一体を形成して、堕落した人間社会をつくってしまったのである。
それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。このようにして、堕落人間が神を中心として創造本然の四位基台を造成すれば、そのとき初めて、神の三大祝福を完成した地上天国が復帰されるのである。

 

 

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最終更新日  2017.10.12 22:57:50
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2012.03.24

以下は、 2011-12-18付の下書きからの書き足し。



アッシー君でママさんと一緒に参加した原理講師試験、それの資格認定証が数日前に凡人の手元に届いた。
原理講師の資格を持って、『原理講論の要約チャート』を外れて原理について書いていいものか? と悩むところである。


原理の第6章は『予定論』である。予定論と予言書の予言とは深いかかわりを持っている。そのことを知れば、終末の恐ろしい予言も恐れることはない。

古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。

特に、原理の『予定論』は神様のみ旨を中心とした予定について書かれているが、まずは「神様のみ旨」とは何か、について知る必要がある。

予定論の『第一節 み旨に対する予定』から、

神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。言い換えれば、この「み旨」は、復帰摂理の目的の完成をいうのである。

神様が絶対的であるように、このみ旨に対する予定も絶対的である。
ところが、それの成就ともなると、

創造原理によって、既に明らかにしたように、神の創造目的は、人間がその責任分担を完遂することによってのみ完成できるようになっている。したがって、この目的を再び成就させようとする復帰摂理のみ旨は、絶対的なものなので、人間は関与できないが、そのみ旨の成就に当たっては、あくまでも、人間の責任分担が加担されなければならない。……み旨成就は、どこまでも相対的であるので、神がなさる九五パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき五パーセントの責任分担が加担されて、初めて、完成されるように予定されるのである。

神様の予定だけでなく、人間の責任分担の遂行次第で変わってくるので相対的となる、というのである。
したがって、予言書もまた、大きくは成功した場合と、また、失敗した場合の可能性で書かれることもあり、今日、我々に多くの混乱を引き起こす原因となっている。
ところが、神様の予定は絶対的であるので、たとえ、その時に予言が成就しなかったとしても、時を違えて同じような現象が繰り返されるのである。 「歴史は繰り返す」といったその根拠もここにある。

古今東西の予言書の最終的な結末が神様のみ旨成就にあると分かれば、予言の見方も違って見えてくるはずだ。

特に、この予定論では人間の誰もがではなく、なかでも神様によって選ばれた中心人物について書かれているのである。聖書から、最初に選ばれた人物はアダムであり、ノア、アブラハム、、、イエス様。そして、イエス様の再臨に際しても。

特に、第四節 予定説の根拠となる聖句の解明 から聖書を理解する上で、予定説と人間の責任分担について深く考察していく必要があるだろう。

 

 


聖書の予定論に関して、以下の記事から引用文も一考していただきたい。

余談だが、この記事に関しては、韓国では信徒の約80%が長老派教会でカルヴァン派の流れをくんでいる。そのカルヴァン主義者たちが自己を正当化するために『魔女狩り』的行為をなしてきており、今日も自分らに属さない集団に対して異端視し、強制改宗などの蛮行を繰り返している、といった内容だ。

[宗教企画]カルヴァンの長老派教会と聖書のイエス教

……

カルヴァン(1509~1564)は、ルターより20年遅れてフランスのノヨン(Noyon)の書記官であったジェラールカルヴァンの息子として生まれた。カルビンへの評価は非常に相反し、彼を追従する勢力は、"最高の聖なる英雄"という賛辞を惜しまなかった一方で、後世のキリスト教の歴史の哲学者たちは、カルヴァンの"最悪のクリスチャン"と評価しています。

時代が経つにつれ、後者の方が説得力を得ている。 カルビンは、スイスのジュネーブでの宗教の国という特別な機関の首長の在任中に宗教的な判断はもちろん、社会全般にわたって起こるささいな犯罪まで、非難するなど、まさに絶対的な権力を行使した人物だ。

……

宗教改革という見かけの良い旗を掲げたが、……

カルビンジュウイ者たちが犯した別名魔女狩りは、自分たちの目的や個人的復讐のために使用され、その中で最も簡単な方法として選んだのが、"異端"と罵倒するものだったと歴史学者たちは伝えている。

カルヴァンの教理の中で最も代表的な予定論を見ると、"選択と有機のカルビンジュウイ神の予定は永遠不変だ""天使と人々のオブジェクトの永遠の命と予定に変わりなく、永遠の命に予定された天使たちのように人々のことも確定的で不変である。 また、永遠のいのちが予定された者が再びヨウンミョルロ予定されたりヨウンミョルロ予定者が再び永遠の命に予定されている変動はない"と主張する。

これは、聖書の主張とは正反対の主義として、後世の学者からの議論を買っている。 これは、非常に非論理的なもので、人間に許された自由意志を無視している。また、あえて選択されていない者が、神を信じる必要がないのはもちろん、選ばれた者がいかなる罪をジトドでも容赦されるという非聖書的な論理を主張している。

これによると、まだ生まれていない人間が、すでに救いを受けたか地獄という罰を受けることが決定されたと解釈することができる。
彼は、"注釈の王子"というニックネームも持っている。 数多くのコメントを書いた彼も新約の預言書である黙示録だけは解析が困難で、黙示録を聖書的に認められていない。

……

 







最終更新日  2017.10.12 22:55:35
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2011.11.14

私たち誰もが、「昨日よりは今日、今日よりは明日へ」、また、時を刻む秒針の中でも、善くなろうと努力している。
1秒前の自分と、1秒後の自分は明らかに違って善くなっているだろうと思うのである。
そういった観点からみたとき、私たち一人一人は小さな予言者になれるのである。

ところが、そうでない自分もある(「堕落論」によって)ことを発見することが、多々ある。

原理の第5章は『復活論』である。

 

復活とは死んだ人が生き返るということであり、ここでは「死と生に対する聖書的概念」、そして、「復活の意義」についても解説している。以下、要点を抜粋すれば、

創造原理によれば、肉身は霊人体の衣ともいえる部分で、衣服が汚れれば脱ぎ捨てるように、肉身も老衰すればそれを脱いで、その霊人体だけが無形世界に行って、永遠に生きるように創造されたからである。

二つの死の中で、肉身の寿命が切れるという意味での死が、堕落による死ではないということが分かれば、サタンの主管圏内に落ちるという意味での死が、まさしく堕落による死であるという結論になる。

復活は人間が堕落によってもたらされた死、すなわちサタンの主管圏内に落ちた立場から、復帰摂理によって神の直接主管圏内に復帰されていく、その過程的な現象を意味するのである。したがって、罪を悔い改めて、昨日の自分よりきょうの自分が少しでも善に変わるとすれば、我々はそれだけ復活したことになる。

善悪の果を取って食べる日には、きっと死ぬであろう(創二・17)と言われた神のみ言どおりに、善悪の果を取って食べて堕落したアダムとエバが、死んだのは事実であった。しかし、彼らには、外形的には何らの異変も起こらなかったのである。変わったことがあるとすれば、不安と恐怖によって、瞬間的に彼らの顔色が変わる程度であっただろう。ゆえに、堕落した人間が善悪の果を取って食べた以前の人間に復活するとしても、その外形上には何らの変化も起こらない。

ということだが。


復活論の冒頭から:

聖書の預言を、文字どおりそのまま受け入れるとすれば、イエスが再臨されるときには、既に土の中に葬られて、元素化されてしまったすべての信徒たちの肉身が、再び元どおりの姿によみがえって、出てくるものと見なければならない(テサロニケ・四・16、マタイ二七・52)。

これも聖書の予言であるから信ぜざるを得ない。現に、エジプトのミイラなども肉体復活の信仰によるものである。

ところが、科学が発達した現代人には受け入れがたい内容である。

原理からは、堕落による死は肉体の死ではなく、霊人体の死を意味している。そして、復活の予言もまた、霊人体の復活を意味している。
聖書の予言は、まさにこれである。
同時に、すでに亡くなった霊人体の復活についての予言についても書かれている。上記の予言はそれについて書かれているのである。
終末における時代的恵沢によって、自分たちが生きた当時の信仰・行いによって地上人の復活を協助することによって、霊界に行った人々も同等の復活するようになる。

ところで、今日が終末といわれるように、イエス当時も終末であった。イエス当時の、その死人の復活に関する記述も新約聖書にある。原理からは

マタイ福音書二七章52節を見れば、イエスが十字架で亡くなられるとき、墓が開け、眠っていた多くの聖徒たちの死体が生き返ったと記録されている。これは、土の中で既に腐ってなくなってしまった彼らの肉身が、再び原状どおりに肉身をとって生き返ったことをいうのではない。それは、どこまでも霊形体級の霊人体として、霊界にとどまっていた旧約時代の霊人たちが、イエスの十字架の贖罪の恵沢圏内における地上の聖徒たちを、生命体として完成できるように協助することによって、彼らの能力を受け、自分たちも共に生命体を完成するために、霊的に再臨したのを見て記録したにすぎない。もしも、聖書の文字どおりに、旧約時代の霊人たちが墓の中から肉身をとって、再び生き返ったとすれば、彼らは必ず、イエスがメシヤである事実を証したはずである。墓の中から生き返った信徒たちが証すイエスを、メシヤとして信じないユダヤ人がどこにいるだろうか。このような聖徒たちに関する行跡は、必ず聖書の記録に残ったであろうし、また今も地上に住んでいるはずである。しかし、彼らが墓の中から生き返ったという事実以外には、何の記録も残っていない。これから推してみても、墓の中からよみがえったと記録されているその聖徒たちは、霊眼が開けた信徒たちだけが、しばらくの間だけ見ることのできた、霊人たちの現象であったことが分かるのである。イエスの十字架の贖罪によって行くことのできる楽園に比較すれば、旧約時代の霊人たちがとどまっていた所は、より暗くつらい世界であるので、これを墓と言ったのである。

今日の私たちも、同じく墓からの復活も、このように高い次元の霊人体となるという解釈から納得がいくものとなる。

さらには、復活論では重要な予言がある。それは、『再臨復活による宗教統一』が挙げられる。

終末論で論じたように、今まで同一の目的を指向してきたすべての宗教が、一つのキリスト教文化圏へ次第に吸収されつつある歴史的事実を、我々は否定することができない。それゆえに、キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再臨すると信じられている弥勒仏にもなるし、儒教で顕現するといって待ち望んでいる真人にもなる。そして彼はまた、それ以外のすべての宗教で、各々彼らの前に顕現するだろうと信じられている、その中心存在ともなるのである。
このように、キリスト教で待ち望んでいる再臨のイエスは、他のすべての宗教で再臨すると信じられているその中心人物でもあるので、他の宗教を信じて他界した霊人たちも、彼がもっている霊的な位置に従って、それに適応する時機は各々異なるが、再臨復活の恵沢を受けるために、楽園にいる霊人たちと同じく再臨しなければならない。そして、各自が地上にいたとき信じていた宗教と同じ宗教をもつ地上の信徒たちを、再臨されたイエスの前に導いて、彼を信じ侍らせることによって、み旨を完成するように、協助せざるを得なくなるのである。したがって、すべての宗教は結局、キリスト教を中心として統一されるようになるのである。

 

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最終更新日  2017.10.12 22:52:03
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2011.11.05

今回は、2000年前のイエス当時にタイム・スリップしていただく。

原理の第4章は『メシヤの降臨とその再臨の目的』である。

 

「歴史は繰り返す」という観点で、イエスの時も終末、そして、イエスの再臨の時も終末であるということは、同じような出来事が終末という今日にも起こるということである。それはまた、現代の私たちにとっては歴史が残した教訓としても有意義なものとなる。

イエスの時代、新約聖書はなかったし、ノストラダムスや韓国の『鄭鑑録』・『格庵遺録』は勿論、ハイカラな『原理講論』も存在しなかった
当時の予言書といえば、『旧約聖書』。
当然、ユダヤ人たちはその中に書かれてある予言を信じて、ひたすらにメシヤの降臨を待ち望んでいたのである。原理からは、

メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。

ユダヤがローマの属領となり、ユダヤ人たちが望んでいたのはそこから解放してくれる王であった。また、その王(メシヤ)が来る前に預言者エリヤを遣わす、というのが(旧約)聖書最後の予言である。

(一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向
統一王国時代において、ソロモンの堕落により、彼の神殿理想はサタンの侵入を受けるようになった。そして、成就できなかった神殿理想を再び探し立てて、実体神殿としてのメシヤを迎えさせるために、神は四大預言者と十二小預言者を遣わし、サタン分立の摂理をされた。また、神は特別預言者エリヤを遣わし、カルメル山でバアル預言者たちと対決させて、バアル神を滅ぼされたのも、このような理想実現のみ言を遮るサタンを滅亡させるためであった。しかし、エリヤは彼の天的な使命を完遂できずに昇天したので(列王下二・11)、メシヤを迎えるためにサタンを分立していく路程で、再びサタンが横行するようになったのである。ゆえに、イエスの実体神殿理想が成し遂げられるためには、前もって、エリヤが地上で完遂できなかった、サタン分立の使命を継承完遂せしめる摂理がなくてはならない。このような摂理的な必然性によって、預言者マラキは、エリヤが再臨することを預言したのであった(マラキ四・5)。

自分たちを救ってくれる王の出現を待っていたのは事実だが、それに先立って来ると予言されているエリヤの再臨も、彼らは待ち望んでいたのである。

ところが、そのエリヤの噂もないままにイエスがメシヤを名乗って出てきた。

ユダヤ人たちは、マラキの預言を信じる立場に立てば、まだエリヤは来ていないのであるから、メシヤとして自称するイエスを見捨てるよりほかはなく、これと反対に、イエスを信じる立場に立てば、エリヤが来たのちにメシヤが来ると預言した聖書を捨てる以外にはないという二者択一の立場であった。そこで、到底神の預言を捨てることができなかったユダヤ人たちは、やむを得ず、イエスを信じない道を選ぶ以外に仕方がなかったのである。

むしろ、この予言がイエスに災いした。

もちろん、エリヤに関してはイエスもいくつかの言及をしている事は、新約聖書からも読み取れる。
ヨルダン川でイエスに洗礼を施し「神の子」と証言した洗礼ヨハネこそが、そのエリヤであると断言したのである。マタイ3章・3にも、洗礼ヨハネがそれであると書かれている。エリヤの使命としては、メシヤを証言し彼と共に行くべきであった。ところが、ヨハネはその後はイエスと別行動をとったのである。

洗礼ヨハネが、後にヘロデ王につかまり牢獄から彼の弟子をイエスの元へ送った。そして、「あなたは、メシヤですか?」と尋ねたのである。イエスのこの時のやるせない思いが、聖書には記されている。

まさに、この洗礼ヨハネの無知・不信こそがイエスを十字架へ追いやる元凶となったのである。

さて、原理ではイエスの「十字架による救いの摂理」についても詳しく書かれている。

旧約聖書からは、メシヤ降臨の予言については二通りの予言がされている。このシリーズ初めからも、予言のいい加減さを挙げているがそれである。

一つは、ユダヤの王としての華々しい予言。そして、もう一つは苦難(十字架)の予言である。
原理では、メシヤに関しては最初の予言を重要視している。
しかし、洗礼ヨハネの無知と不信で本来の予言が成就出来なくて、イエスは二次的な救いの予言の十字架の道を行かれたである。

では、再臨に際しても、もう一度十字架にかかるためにイエスは来られるのだろうか。
否、決してそうではないはずだ。

さて、新約聖書もまた、旧約聖書同様に二つの予言が書かれている。
私たちは、2000年前の予言の教訓を生かして失敗を繰り返さないようにしなければならない。

 

 

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現代の洗礼ヨハネは一人か、というと、必ずしもそうではないようだ。

アトランティックシティーでの「原理本体論修練会」の映像を公開

 

 







最終更新日  2017.10.12 22:51:31
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2011.10.30

予言の多くには終末に関するものが含まれるが、つい先日も米国のハロルドキャンプ氏が、当初は今年5月21日、そして、10月21日こそが本当の終末の日として予言した。その10月21日もすでに過ぎ去った。

さて、原理の第三章は「人類歴史の終末論」である。

我々は、人類歴史がいかにして始まり、また、これがどこへ向かって流れているかということを、これまで知らずに生きてきた。したがって人類歴史の終末に関する問題を知らずにいるのである。多くのキリスト教信者たちは、ただ聖書に記録されていることを文字どおりに受けとって、歴史の終末においては天と地がみな火に焼かれて消滅し(ペテロ・三・12)、日と月が光を失い、星が天から落ち(マタイ二四・29)、天使長のラッパの音とともに死人たちがよみがえり、生き残った人たちはみな雲に包まれて引きあげられ、空中においてイエスを迎えるだろう(テサロニケ・四・16、17)と信じている。しかし、事実、聖書の文字どおりになるのであろうか、それとも聖書の多くの重要な部分がそうであるように、このみ言も何かの比喩として言われているのであろうか。この問題を解明するということは、キリスト教信者たちにとって、最も重要な問題の中の一つを解明することといわなければならない。ところで、この問題を解明するためには、まず、神が被造世界を創造なさった目的と堕落の意義、そして救いの摂理の目的など、これらの根本問題を解明しなければならないのである。

聖書には上記のように、ハロルドキャンプの主張する天地が崩壊する予言が書かれている。また、一方でそれと異なる予言も混在している。その予言の原理的解釈についても(特に、クリスチャンであれば)気になるところだが、それについては省くことにする。知りたい方は、原理の本文から確認していただければ幸いである。

原理からは終末について、

悪によって始められた人類歴史は、事実上、神の復帰摂理歴史であるがゆえに、サタン主権の罪悪世界はメシヤの降臨を転換点として、神を中心として三大祝福が成就される善主権の世界に変えられるようになるのである。
このように、サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。したがって終末とは、地上地獄が地上天国に変わるときをいうのである。

と定義している。さらには、

(1) ノアの時も終末であった
(2) イエスの時も終末であった
(3) イエスの再臨のときも終末である

そして、他の多くの予言と同様に、原理もまた、様々な兆候から今日が終末であると主張している。

この終末論のなかで、注目して挙げたいのは、第五節の『終末と新しいみ言と我々の姿勢』である。
終末には、新しい真理が出現するということ、なかでも、凡人が特記したいことは(凡人の原理でお気に入りの個所だが)、『終末に際して我々がとるべき態度』である。

復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。したがって、古いものの終わる点が、すなわち新しいものの始まる点ともなるのである。それゆえに、古い歴史の終末期が、すなわち新しい歴史の創始期ということになるのである。そして、このような時期は同じ点から出発して、各々その目的を異にし、世界的な実を結ぶようになった善と悪との二つの主権が、互いに交差する時期となるのである。ゆえにこの時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。したがって、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4~9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。
終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスのような人々は、みなそのような新しい時代の中心として立てられた人々であった。それゆえに、
このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。
このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々には、なかなか納得ができないのである。新しい時代の摂理を担当してきた聖賢たちが、みなその時代の犠牲者となってしまった理由は、まさしくここにあったのである。……

終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。

聖書のへブル人への手紙第11章1節~からは、

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。……

これと同じことが、聖書でも書かれているのである。

終末と言われる今日、「私たちがとるべき態度」として一考する内容として、何度も読まれることをお勧めしたい。
また、文総裁の自叙伝『平和を愛する世界人として』も。。。


余談だが、「歴史は繰り返す」――このように、歴史の周期や、あるいは、パターンを理解出来れば、私たちも予言者となることが出来るのである。
占星術などもまた、これを応用したものであることはいうまでもない。

 

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最終更新日  2017.10.12 22:50:10
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