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奇   知   外   記

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2012.03.24
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以下は、 2011-12-18付の下書きからの書き足し。



アッシー君でママさんと一緒に参加した原理講師試験、それの資格認定証が数日前に凡人の手元に届いた。
原理講師の資格を持って、『原理講論の要約チャート』を外れて原理について書いていいものか? と悩むところである。


原理の第6章は『予定論』である。予定論と予言書の予言とは深いかかわりを持っている。そのことを知れば、終末の恐ろしい予言も恐れることはない。

古今を通じて、予定説に対する神学的論争は、信徒たちの信仰生活の実践において、少なからぬ混乱を引き起こしてきたことは事実である。それでは、どうしてこのような結果をもたらしたのかということを、我々は知らなければならない。

特に、原理の『予定論』は神様のみ旨を中心とした予定について書かれているが、まずは「神様のみ旨」とは何か、について知る必要がある。

予定論の『第一節 み旨に対する予定』から、

神のみ旨に対する予定を論ずるために、我々は、「み旨」とは何であるかということについて、先に調べてみよう。神は人間の堕落によって、創造目的を完成することができなかった。したがって、堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。言い換えれば、この「み旨」は、復帰摂理の目的の完成をいうのである。

神様が絶対的であるように、このみ旨に対する予定も絶対的である。
ところが、それの成就ともなると、

創造原理によって、既に明らかにしたように、神の創造目的は、人間がその責任分担を完遂することによってのみ完成できるようになっている。したがって、この目的を再び成就させようとする復帰摂理のみ旨は、絶対的なものなので、人間は関与できないが、そのみ旨の成就に当たっては、あくまでも、人間の責任分担が加担されなければならない。……み旨成就は、どこまでも相対的であるので、神がなさる九五パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき五パーセントの責任分担が加担されて、初めて、完成されるように予定されるのである。

神様の予定だけでなく、人間の責任分担の遂行次第で変わってくるので相対的となる、というのである。
したがって、予言書もまた、大きくは成功した場合と、また、失敗した場合の可能性で書かれることもあり、今日、我々に多くの混乱を引き起こす原因となっている。
ところが、神様の予定は絶対的であるので、たとえ、その時に予言が成就しなかったとしても、時を違えて同じような現象が繰り返されるのである。 「歴史は繰り返す」といったその根拠もここにある。

古今東西の予言書の最終的な結末が神様のみ旨成就にあると分かれば、予言の見方も違って見えてくるはずだ。

特に、この予定論では人間の誰もがではなく、なかでも神様によって選ばれた中心人物について書かれているのである。聖書から、最初に選ばれた人物はアダムであり、ノア、アブラハム、、、イエス様。そして、イエス様の再臨に際しても。

特に、第四節 予定説の根拠となる聖句の解明 から聖書を理解する上で、予定説と人間の責任分担について深く考察していく必要があるだろう。

 

 


聖書の予定論に関して、以下の記事から引用文も一考していただきたい。

余談だが、この記事に関しては、韓国では信徒の約80%が長老派教会でカルヴァン派の流れをくんでいる。そのカルヴァン主義者たちが自己を正当化するために『魔女狩り』的行為をなしてきており、今日も自分らに属さない集団に対して異端視し、強制改宗などの蛮行を繰り返している、といった内容だ。

[宗教企画]カルヴァンの長老派教会と聖書のイエス教

……

カルヴァン(1509~1564)は、ルターより20年遅れてフランスのノヨン(Noyon)の書記官であったジェラールカルヴァンの息子として生まれた。カルビンへの評価は非常に相反し、彼を追従する勢力は、"最高の聖なる英雄"という賛辞を惜しまなかった一方で、後世のキリスト教の歴史の哲学者たちは、カルヴァンの"最悪のクリスチャン"と評価しています。

時代が経つにつれ、後者の方が説得力を得ている。 カルビンは、スイスのジュネーブでの宗教の国という特別な機関の首長の在任中に宗教的な判断はもちろん、社会全般にわたって起こるささいな犯罪まで、非難するなど、まさに絶対的な権力を行使した人物だ。

……

宗教改革という見かけの良い旗を掲げたが、……

カルビンジュウイ者たちが犯した別名魔女狩りは、自分たちの目的や個人的復讐のために使用され、その中で最も簡単な方法として選んだのが、"異端"と罵倒するものだったと歴史学者たちは伝えている。

カルヴァンの教理の中で最も代表的な予定論を見ると、"選択と有機のカルビンジュウイ神の予定は永遠不変だ""天使と人々のオブジェクトの永遠の命と予定に変わりなく、永遠の命に予定された天使たちのように人々のことも確定的で不変である。 また、永遠のいのちが予定された者が再びヨウンミョルロ予定されたりヨウンミョルロ予定者が再び永遠の命に予定されている変動はない"と主張する。

これは、聖書の主張とは正反対の主義として、後世の学者からの議論を買っている。 これは、非常に非論理的なもので、人間に許された自由意志を無視している。また、あえて選択されていない者が、神を信じる必要がないのはもちろん、選ばれた者がいかなる罪をジトドでも容赦されるという非聖書的な論理を主張している。

これによると、まだ生まれていない人間が、すでに救いを受けたか地獄という罰を受けることが決定されたと解釈することができる。
彼は、"注釈の王子"というニックネームも持っている。 数多くのコメントを書いた彼も新約の預言書である黙示録だけは解析が困難で、黙示録を聖書的に認められていない。

……

 






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Last updated  2017.10.12 22:55:35
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