枝野民主党に思う
枝野は好きじゃないけれど、枝野が枝野新党を起ち上げてくれたことに安堵している(←皮肉じゃなく
PAYOKUとネトウヨの罵り合いには、プロレス的な部分があると思っている。
それは「一線は越えてこないだろう」という部分だ。
新規移民と、在日朝鮮塵とは自分のなかでは明確に違っていて、在日朝鮮塵の多くは「日本社会の一員」だと思っている。
李信恵とか野間ヒトモドキとかSSEALDs牛田とか偏差値28とか北海の五寸釘とか、いろいろいるけれど、彼らは新規移民ではなく、日本社会の一員だ。
血筋が国籍はともかくとして、日本社会で生きていく人間だ。
ネトウヨは「在日朝鮮塵なんて朝鮮半島に送り返せよ」とネットでは言うけれど、そんなことは決して起こらないし、起きてはいけないと思っている。
もしも、本当に独裁者が現れて在日朝鮮塵を片っ端から朝鮮半島へ退去させるようなことがあれば、自分は抗議の声をあげるだろう。
そんな事態は起こらないという安心感のもとで、「在日朝鮮塵は朝鮮半島に送り返せ」とネットで書き散らかす。
有田もSEALDs牛田も偏差値28も野間ヒトモドキも李信恵も、「自分たちの住みやすい社会」「自分たちに都合の良い社会」を叫び、追求し、実現しようとする自由がある。
高齢者が高齢者のための社会を叫び
若者は若者のための社会を叫び
子育て世代は子育て世代のための社会を叫び
障害者は障害者のための社会を叫ぶ。
実現するかどうかは別として、その声は国政に少しでも届けられるべきだ。
外国人に参政権を付与することに対しては明確に反対だ。
外国人が日本国内で政治活動を行うことは禁止して当然だ。
だが、在日朝鮮塵が政治的デモ活動に参加することに関しては、実際にはデリケートな問題だと思っている(←ネットでは明確に反対を叫んでいるとしても
小池新党が、政治理念のそぐわない者を排除することを表明したときには、複雑な気持ちだった。
共産党が共産主義者を党員とするように、同じ政治理念を共に抱くものが政党を構成するのは当然だ。
しかし、それでは「これまで民進党を自分たちの代表だとしていた者たち」はどうするのか。
SEALDsが共産党の下部組織なのか共産党青年部なのかはわからない。
しかし、偏差値28や野間ヒトモドキをみていると「共産党が自分たちの代表」だとは思っていないようにみえる。
共産党でもなく、小池新党でもなく、もちろん自民党でもなく、「民進党こそが自分たちの声を国政に届けてくれる」と思っている人たちが存在するのだろう。
では、民進党が消滅し、小池新党が民進党を受け容れなかったら、彼らの声を誰が届けるのか。
自分たちの声を国政に届ける団体が存在しなくなったときに、彼らは絶望するのか。絶望したときに彼らは何をするのか。
私は枝野民主党を支持しない。
私は、中核派だった枝野が結成した枝野民主党は、形を変えた共産党だと思っている。
しかし、私と違った理想を求めるひとたちの声を国政に届ける政党が存在することを嬉しく思う。
枝野民主党が存在するからこそ、ネトウヨは安心してPAYOKUを罵倒し続けられるのだ。