嫉妬と怠惰の時代
「七つの大罪」って、単独攻撃よりもコンボのほうが凶悪だよなぁと。
傲慢,強欲,嫉妬,憤怒,色欲,暴食,怠惰とあるけれど、このなかで怠惰というのはちょっと見劣りする。
傲慢であれば、他人を蔑ろにするだろう
強欲であれば、他人への慈悲をなくすだろう
嫉妬に駆られれば、他人を傷つけ、引きずり降ろそうとするだろう。
憤怒に駆られれば、理性を失くし暴虐の徒となるだろう。
色欲に囚われれば、乱れ爛れた淫蕩へとその身を堕とすだろう
暴食を省みなければ、他の生命への慈しみと謝意を失うだろう
怠惰って…怠惰って、それは個人の自由じゃね?
そりゃ怠けてるっていうのは見苦しいけど、その人が怠惰な生活をするのは、個人の裁量じゃないか?
傲慢とか強欲とかは、周囲に影響を及ぼすし、迷惑。
色欲は…まぁ個人消費してくれれば良いけど、他人を襲ったりとか、共に爛れた性生活に身をやつしたりとか、まぁ相手がいてこそなところもある。
憤怒,嫉妬は他人への感情だから、はた迷惑で、ちょっと封じ込めておきたいのはわかる。
でも、「怠けたいひとが怠ける」っていうのを規制して、悪,大罪ってどうなのよ?
って思ってんだけど、怠惰は単独攻撃よりも、コンボで凶悪になるなぁ。
七つの大罪って、元は8つあったんだけど「高慢」って罪が「全ての罪の祖」だから、それは別格にして7つになったらしい。
そこもよくわかんないけど、当時のキリスト教的な背景の「高慢」っていうのは、おそらく現代日本人が「高慢」という言葉にもっているイメージと違うのだろう。
それはそれとして、「高慢が全ての罪の根」というのならば、怠惰は「全ての罪の攻撃力Up効果」として、かなり優秀なバフじゃないか。
傲慢よりも「傲慢で怠惰」
強欲よりも「傲慢で怠惰」
嫉妬よりも「嫉妬しながらも怠惰」
憤怒よりも「憤怒しながら怠惰」
色欲よりも「色欲に溺れながら怠惰」
暴食よりも「暴食にふけりながら怠惰」
そして、このなかで「嫉妬と怠惰」の組み合わせは、現代社会においてかなりのカオスUpな効果を持つ。
「他人に嫉妬しながらも、自らは怠惰」というのは、まさにいまの世界が「嫉妬と怠惰に支配されている」という状況なのではないか。
これが、怠惰のみならば「嫉妬すらも面倒」「憤怒すらも面倒」「色欲も強欲も傲慢も、それらの感情を原動力として行動することすら面倒」ということになる。
怠惰という悪魔が場を形成して、その場で嫉妬の悪魔が活動することが、効果的に世界をカオスへと導く。
政治家が、官僚が、経営者が、労働者が、為すべきことをせずに怠惰と嫉妬に囚われている。
それが、いまの世界だ。