愚韓 山を移す
【世界の見方を自分と同じものにさせるべく闘う】
日本人っていうのは、相手の考えを変えるとか、相手の価値観を変えるってことに関心があまりないと思う。
ところが、世界っていうのは、「相手の意見を変える」「相手の価値観を自分と同じものにする」ってことで動いてる部分がかなりある。
日本人は、世界的な地名を変えようなんて思わないけれど、世界は「自分の名前をつけよう」とする。
昔からある岬や湖とかに「名前が無いのは不便だから名前をつけよう」とはしても、「自分の名前をつけるために奮闘する」ってことが、日本人には発想として乏しい。
ところが、世界的にみれば「キリスト教的な価値観,世界観を植え付けよう」というのは、十字軍派遣の大きな動機になり得た。
日本人にとっては、歴史的な事実というのは動かせないものだけれど、世界的にみれば「そんなものはどうとでもなる」と考える方が普通だったりする。
さて、愚韓の思考。
「日本海の呼称を変えよう」
「これまで問題なかった旭日旗を戦犯旗にしよう」
「追軍娼婦を従軍慰安婦にしよう」
「出稼ぎ労働者を徴用工にしよう」
それらは、「それが可能である」という思想に基づいているから続けることが出来るし、日本人にはそれ~事実を変更しようとする思想~が理解できないでいる。
資源や領土の奪い合いによる争いではなく、自分たちの正義(思想)を相手に受け容れさせようとする争いだから、平和的に終わることは無い。
イスラム世界の価値観を世界に広げようとするISISの闘争に終わりはないし、平和裏に集結することもない。
イスラレル紛争も決して終わらない。
そして、山を動かそうとする愚韓の挑戦が終わることもない。