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カテゴリ:PC・ネット将棋・ゲーム・道具・玩具
だいぶ前の話ですが、某県内強豪氏が「コンピューター将棋は『受け』が得意」だと言っていました。僕はその言葉を聞いて初めてその認識を得ました。
その当時は、コンピューター将棋もだいぶ強くはなってきたけれど、まだまだ穴は多くてプロを脅かすというイメージはなかったような気がします。その少し後にアマ竜王戦に激指が出場したような気がしますが……ちょっと記憶が不正確です。 『受け』というのは相手の手に対応していればよく、『攻め』にはある程度の創造性とか構想力が必要、というのが理由なのか、ハッキリとは分からないけれどとにかくそういうものだと思っていました。 なかなか攻めてこなくて、一人千日手を繰り返すような特徴を見受けられました。 それがいつの間にかコンピューター将棋は『攻め』が得意になってしまいました。 それはやはりボナンザの登場以来なのでしょうか。そこら辺の事情をずっと追いかけてきた訳ではなく、正直な所分からない事だらけなのですが。 今の所持ち合わせている知識ではそうとしか思えなく、ボナンザの登場というのは実に絶大な影響を与えたのではないかと今になってそんな気がしています。 とにかく、将棋ソフトの『性格』というものがえらく変わってしまいました。 あるソフトの登場によって、今迄とは違った発想による作り方が知られてそれによって全体が大きく影響を受けて飛躍的にレベルが上がるといった事があるようです。 金沢将棋(極)、東大将棋(IS将棋)、などがそういった影響を与えたソフトとなったのでしょうか? 他にも並び称されるべきソフトがあったのか、具体的にその後にどういう影響を与えたのか、僕は正直言ってよく分かっていません。 ハッキリ言って当時は全く気にしていませんでした。 そうした転換期とかターニングポイントとか……これでは同じ言葉ですか。見方によっては特に大した話でもないのかも知れませんが、とにかくそうした変遷だとかそういったものを書き記しておく事に何かの意味もあるかも知れません。 忘れ去られてしまうかも知れないし、自分自身の記憶も曖昧になってしまうかも知れない。 未来の人は、最初からコンピューターの方が人間よりも強かったと思うかも知れない。 色々な変遷があって性格も変わって、そして現在は部分的には、完全に人間を凌駕する存在として、人間の上に少し浮いた状態でいるようなイメージです。 しかしどこまで行っても人間の上には位置しても、『神』とは成り得ない、そんな感じです。そこに到達するには、また何か新しい発想、何か革命的なものが必要なのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.09.26 19:50:43
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