王手の千日手など
何週間か前の話ですが、支部長宅で元県名人が週刊将棋を見ながら色々とつぶやいていました。独り言半分、周りに聞かせるのが半分といった感じの喋り方でした。 対局規定改正特集の記事を見ながらの事でした。持将棋の事やら遅刻に関する事やらを言った後で、連続王手の千日手に関する所で僕に向かって話しかけてきました。 何でも、連続王手の千日手に関しては、現在の同一局面4回で千日手が成立する規定に変更される以前の同一手順3回のルールがそのまま残っていたのだそうです。それが今回の改正によって統一されて王手の場合も同一局面になるのだ、とか。 通常の千日手の場合は例えば上図のような局面で、銀を上から打ったり下から打ったり成ったり成らなかったり、色々と手順を尽くして繰り返しにならないように工夫する事が出来ます。それでも長いサイクルで同一手順が成立する……んでしたか? ハッキリとした事は知らないのですが、それでもそれを実戦の中で解析するのも大変だしとんでもなく手数が延びる可能性もあります。 現行の同一局面のルールが明快でしょう。(もしくは同一手順も併用する、という手もあるのかも?) それに対して、王手の場合に関しては同一局面が適用されずにずっと手順の方だった、と言うのです。 僕はその時ある詰将棋を解くのに意識の大半がそっちに行っていて、元県名人の言葉を話し半分に聞いて生返事をしていました…… 後日自分の目で週刊将棋を確かめると、どう見てもそんな事は書いてない、ようにしか見えないのですが……どちらも同一局面ではあったけど、今回の改正では王手の方を千日手の項目には入れずに反則の扱いに変えた、という話だと思うのですが。僕の解釈はそうなんですが、どこか間違っているのでしょうか……? 更に後日に当人にその事を言ったら、いや王手の千日手に関しては何十年もノータッチだった、と譲りません。 まあ別にムキになって主張した所で得をするとも思えませんし、今回の改正では間違いなくどちらも局面の方になったのだから、まあ別にいいのでしょう。 元県名人にとってはその(勘違いした?)予備知識があったが故に、その思考に陥ったのでしょうか? しかしその(勘違いしていた?)事によって、面白い展開となりました。 今迄は王手の千日手に関しては、同一手順のままにしていても特に問題が生じた事がなかったのだろう。しかし本当にそれによって不都合が生じる局面というのは無いものなのか? という趣旨の質問を僕に対してしてきたのですが、僕は詰将棋の方に神経が行っていて、その問いに対してはどうも頭が働かず、県名人が盤を出して考えているのをチラッとは見ても、「いや……どうなんでしょう。あるかも知れないし、なかなか無いのかも……」「そういう事は、詰パラのサイトででも質問してみたらどうですか?」「そういう風に、局面を作るという感覚は、詰将棋に通じる事ですよ」 という感じで、人に丸投げをするような、自分では考えようとしないようないい加減な返事ばかりをしていました。 何十分も考えていて、そのうち元県名人が上のような図を示しました。「そうだ。詰将棋なら持駒は残り駒全部だけど、実戦だったら限定されている場合もある」 上図なら、5一飛や6一飛と打って飛合いの1手に同飛成もしくは不成として同玉となり、そしてまた左右から飛打ちが生じ……という無限に近いサイクルが生まれます。 しかしこれは実戦では現われそうにないという事で、更に6一香のような壁がない方が更に遠くから飛を打てるという事で、下のような図になりました。 ここら辺でようやく僕は、考えていた詰将棋の方を諦め、こちらの方に頭を働かせる気になったのでした。 そして元県名人の作図に関心したのでした。「いや、こういうのがまさに詰将棋なんですよ」「詰将棋は残り駒全部、というのは解くだけの人の感覚であって、むしろいくらでも限定させる。例えば香合いを消したければ香を4枚配置してしまう、とか」「飛・角・金・桂と銀・香・歩の違いの話の時なんかも、近代将棋でその作図を募集したら、有名な詰将棋作家が何人も投稿してきたんですよ。だから詰将棋作家っていうのは、決して詰将棋だけしか作らないのではなくて、こういう事を考えるのが好きな人達なんですよ」 こういう作図をする所を見て、元県名人も結構その素質があるんじゃないのか、暗に詰将棋創作を勧めるようなつもりでそう言いました。 こういう感覚が無意識に働いていたからこそ、先の生返事の中でも詰パラがどうとか言っていた訳です。 それから、王手の千日手的な材料としては『馬ノコ』があるな、と思いました。P.S.同一局面4回のルールを「かえって分かり辛い」と感じている人もいるようですが、基本的には同一手順3回と変わらない、と考えるといいと思います。3回繰り返せば局面としては4回現われる、ただそれだけの事です。