記録係問題
このタイトルだと別の意味に捉える方もいるかと思いますが、ちょっと違う話です。そもそも記録係問題という言い方が正しくないというかやや外れているのかも知れませんが……まあこのまま行きます。 コロナ禍の影響で奨励会の例会がストップして記録係が不足して、そのお鉢が女流棋士などに回ってきたという事がありました。 なあんだ、やっぱりその問題か、と思うでしょうが実はその事ではないのです。 その時にちょっとした噂話を小耳に挟みました。単なる噂であり真偽を確かめていないのですが、いかにも将棋界に有り得そうな話だと思いました。 そんな訳なのでこの件に関しては、100%決め付けては言わないのですが、本当ならば由々しき問題だと思いますしそれが将棋界の根底に根付いている大きな害のある体質であると思います。 まあとにかく話半分というか、いかにも有り得そうだけど実際の所はどうなんだろう? くらいに捉えてもらえればと思います。 記録係というのは奨励会員の役目であり、義務ではあるけれど最高の修業の場でもあるという認識でした。それが将棋界の伝統でもあり長く続いている慣習です。 ただ今後の業界の発展を考えていくと、あまりにもそこに拘り過ぎるのは害があると思いました。 というかこの記録係に関する棋士の意識そのものに大きな問題があるのです。 記録係が不足している、ならば対局者が対局終了後に棋譜を自己提出すればいいのではないのか? この発想もあってもいいのではないでしょうか。 というか過去にそれを試みた事もあったそうです。 だけど、その棋譜の提出があまりにも守られなくて「こりゃ、ダメだ」という事になったそうです。 これがその噂話です。 これはいかにも棋士にありそうな話なのです。 棋士は皆個性的でわがまま。そして『先生』と呼ばれる事に慣れている職業です。親方日の丸的な感覚を持った人も、昔の棋士には随分いたようです。 将棋ファンもそんな棋士の気質というものに、半ばあきれながらも、将棋の才能や棋力には尊敬し、ある意味動物園の動物を見るような楽しみ方をしてきたような面もありました。 だけど、ここで一つ厳しい目で見て欲しいのです。 棋譜提出の義務を怠る、これがどういう事なのか? 一体どういうつもりなのか? 棋譜を提出しないなら、対局料も貰えなくても何の文句も言えないのではないのか? プロとしての仕事をどう考えているのか? こんな将棋指しのわがままをそのまま見過ごしていていいのか? 棋譜は貴重な文化的財産、などと言う棋士がいながら、どうしてそこをいい加減に出来るのか。 消費時間の記入などの問題もありますが、とにかく棋譜自体の提出はプロならば充分可能な筈ですし、解決法は色々ある筈なのです。 記録係は奨励会員の役目、この感覚に縛られ過ぎるために、例えば奨励会員の寮を作るという案も実現が難しくなるのです。 東西の奨励会を統一して一箇所に集めればこれまでの東西の不公平も解消されます。 今の時代はある程度経済的に余裕のある家庭の子供でなければプロを目指すのは難しい状態です。地方の奨励会員は交通費もかかるし移動で体力は使うし、普段の練習相手にも困る状態です。 後進の育成のために安心して修行に打ち込める環境を作る事は大切です。 それを月謝まで取っているというのが現状です…… スポーツの世界なら特待生で授業料や寮費を無料でその競技に打ち込めるという環境も存在するというのに、将棋界ときたら…… この環境を作るのを難しくしている一因が、棋譜の提出を怠ってもそれを問題視しない、その将棋界の体質なのです。どうしてこんな事が許されるのか? 大いに問題意識を持たなければなりません。 米長前々会長は弟子の育成に力を入れるために、弟子がタイトルを取ったら師匠にタイトルの賞金の何%かの報奨金が貰えるという制度を作りましたが、これは殆ど役に立っていません。タイトルを取ってようやく報われるというので話になりません。