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この朝は又寒さが戻り、朝出勤のためスクーターにまたがると顔に当たる風が氷のようだった。家を出て最初の曲がり角で私は凍った道路にツルリと滑りそうになる。
危ない、危ない。 慎重に駅へと走っていたつもりだった。駅へと下る坂道の途中からあの「開かずの踏み切」がいつものごとく閉まっているのを見て、回り道をする為に曲がろうとしてまたもや滑りそうになった。その回り道は踏み切を避ける為、駅をまたぐようにして造られた陸橋で、急な坂道である。 スクーターを運転し始めた頃も、クルマを運転し始めた頃も(ってまだまともに運転できないけど)、あまりの急斜面のため一番こわかった坂だ。今でこそ慣れたが、こんな日だけに慎重に坂道を上がった。上がりきるとすぐに急な下りである。息を吸って、ゆっくり下ろうとした瞬間。 ツルリと滑った。 まるで数年前におっとが生まれてはじめてスキー場に行った日に、上級者コースのリフトを降りるやいなや、転んだ様子とまったく一緒だった。(←初日に上級者コースに連れていくなって?) わたしは宙を舞い、スクーターはあっという間に轟音を立てて横倒しに坂の終点まで流れて行った。わたしは凍った道路に叩きつけられ、うつ伏せ状態でズ-ッと坂の途中まで流されて留まった。途中、腕時計がはじけて飛んでいき、ヘルメットのフロントのプラスティックにひびが入った。 坂の上を見上げると、すでに後続車のヘッドランプが見えた。わたしはうつ伏せの姿勢のまま身を起こすと、左足がままならない。「やばっ、壊れた。」と急いでほふく前進で道路脇の積み上げられた雪の山の方によける。(←この行動、SAICUCCIOさんにクールと言われた) 「おい、大丈夫かッ!」という声に上半身を起こすと、対向車のトラックのおっちゃんがクルマから降りてきて「歩けるか!?救急車を呼ぼうか?」と支えて立たせてくれた。 この時、わたしは左足の事よりも、とにかくびっくりしてしまっていて「大丈夫、大丈夫。」と答えてしまったのである。 おっちゃんは急いでいたらしく、てきぱきとはじけ飛んだ腕時計を拾い、スクーターをわたしのそばに立たせてくれて、「そうか、気をつけて運転しろよ。」と行ってしまった。 こうして独りで道路脇に取り残されてやっとだんだん冷静になってきた。 。。。。。これって、これって、もしかして緊急事態!? 急いでおっとに携帯で電話するが、我が田舎町、特に駅周辺は電波がとだえて電話が繋がらない。 とにかくここから脱出しなきゃ。 歩こうとすると左足が変な方向にくにゃっと曲がる。 うう、ただぐねっただけだよね??涙 あああ、やっぱりおっちゃんに救急車を呼んでもらうべきだった。 今更言っても遅い。 わたしは覚悟を決めて、ケンケンをしながら苦労してスクーターにまたがり、ホウホウの態でなんとか無事に家の下までたどり着いておっとに電話する事に成功したのだ。 そしてこのときほど、おっとの職場が近所だった事に感謝したことはない。 おっとはあっという間に駆けつけ、すでにお馴染みとなってしまった救急棟にまたもや運び込まれたのであった。汗 その救急棟といえば。 満員である。 そう、この凍りついた道路のおかげで我が田舎町町民がことごとく滑って転んで、ぞくぞくとここに押し寄せてきていたのだ。 おかげで救急だというのに、番号札が配られ(大汗)、待ちに待って診察、再診察、各種レントゲン、再々診察でようやく「左ひざのお皿が割れた。」と太鼓判を押される。 軽い打撲ぐらいを望んでいたので、大ショックである。 左足を石膏と包帯でぐるぐる巻きのギプスにされ、病棟に放り込まれた時にはすでに夕方になっており、朝ご飯を食べてからは飲まず食わずのわたしたちは、すっかりげっそりしてしまったのだった。 看護婦「奥さんこれからしばらく入院になりますから、ダンナさん、家から着替えを持ってきてあげてね。」 OOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!! げげげげげげげ、またかよ! 前回の入院からちょうど1週間と1日後である。 去年もたいがい厄年だったけど、今年は大厄? それともルイジの呪いだろうか??? この日、SAICUCCIOさんから「ちっとも日記を更新してないけど、何かあったの?」と携帯にメッセージが入る。 虫の知らせ?わたしたちって心と心が繋がってる??(←気持ち悪いって?) あまりにもの大ネタに、ついつい彼女に電話をして一部始終を語らずにはいられなかったわたしなのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.02 01:15:57
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