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テーマ:ミニカー大好き(3244)
カテゴリ:F1
あれこれと発売される(予定の)ミニチュアを買い逃すまいと日夜メーカーやショップのホームページとか大手ECモールを覗いてアンテナを張ってるつもりでいたんだが、まさか目の前に無造作にこんなモノが転がっていたとは!という話である。
必死になって探していた失せ物が実は目の前に鎮座ましましていたという事例は誰でも経験のあることだと思うが、ほとんどの場合は思い込みや先入観で視野が狭くなってることが原因。それと同じで分冊百科のミニチュア特にフォーミュラの場合、昔懐かしいオニキス同様に四駆でもないのにフロントにドライブシャフトが通ってるから、70年代までのフロントホイールとボディの距離が短くて車軸が目立たないマシン以外は眼中になしの姿勢でいたのだけれど、時折ココに足跡を残して下さる方から「最近のはそうでもありませんぜ」との情報をいただいたので早速買い求めたという次第。 デアゴスティーニ(エディションズ・アトラス?)1/43 ローラ T93/30 フェラーリ 1993年ベルギーGP 13位 #22 ルカ・バドエル なかなかモデルに恵まれないBMSスクーデリア・イタリアの1993年のマシン。BMSは前身のブレクシア・モータースポーツの略で、創始者のジュゼッペ・ルッキーニ(鉄鋼業)の故郷ブレシア(ラテン語でブレクシア)に因む。とはいえスクーデリア・イタリアはついぞマシンを設計製造したことがない(つまりコンストラクターではない)。F1参戦当初はダラーラにマシン製造を委託し93年にローラにスイッチした。 5年間ダラーラで頑張ったが結果が伴わなかったからなのか更なる飛躍を望んだのか仔細は分からぬが、清水の舞台からダイブした結果は凶と出て予選不通過の常連と成り果てる。ていうか90年の日本GP3位表彰台を頂点に堕ちる一方だったローラに何故スイッチしようと考えたのだろ。それ以上にダラーラがダメだったのか単純にローラのほうが安かったからなのか真相は知らんが、結局この駄馬と心中することになっちまうとは契約時には思わなかったんだろうなぁ。盛りを過ぎたとはいえ優勝経験者のミケーレ・アルボレートをもってしても予選落ちを繰り返すほどの出来の悪さでシーズン終了を待たずにF1から途中退場。 ダラーラ時代はマルボロのバックアップを受けていたけれど、シャシーのスイッチ同様に心機一転を図ったのか兄弟ブランドのチェスターフィールドへ変更。チェスターフィールドってCMキャラクターにボブ・ホープ、グレゴリー・ペック、カーク・ダグラス、クローデット・コルベール、ジョーン・ベネットといった我々世代には懐かしいハリウッドスターを起用していかにも手堅い宣伝と言う感じ。 大根役者時代のロナルド・レーガン大統領も宣伝に一役買った(↑)。 いつの時代も文字だけの質実剛健シンプルパッケージのチェスターフィールド。タバコスポンサーといえばマクラーレンのようにパッケージ丸ごとをマシンにラッピングする方法が普通だが、あの奇妙奇天烈でぱっぱらぱーな稲妻デザインはチェスターフィールドとはまるっきり関係ないのだろうね。 ローラのF1マシン群。 エンバシー煙草パッケージまんまのエンバシー・ヒル・ローラT371、ラルース・ローラ時代の濃紺地にフランス系企業オンパレードとは一線を画すローラT93/30のカラーリバリー。このハチャメチャさはある意味イタリアン・テイストと言えなくもない? T93/30とローラ・スポーツカー群。日本グランプリのT70Mk-Ⅲやル・マン4位のローラ-アストンマーティンB09/60そして言わずと知れた週刊賃貸ニュース・ローラ。 スポーツカーでは成功作にも恵まれたのに、やはりF1の設計開発とゆーのは特殊なノウハウが必要で一朝一夕には難しいのかも知れない。結局ローラで一番成功したフォーミュラマシンって国内外のF3000で活躍したT90/50だったりするのかもしれないが、どういうわけかあれほど隆盛を誇ったF3000マシンってミニカーじゃあ完全スルーなのよね、悲しいことに。エブロが一時期フォーミュラニッポンのレイナードを商品化してたけど、あれの売れなさ加減が観測気球になってどこも二の足を踏んでんだろうか。。。ジャン・アレジのキャメルカラーとかガンメタのテノラス、キャビンやレイトンカラーのとか売れそうな気がするんだけどねー。今度スパークから2022スーパーフォーミュラ全車(奇しくもダラーラシャシーだ)が出る。個人的にはトヨタホンダ日産陣営各1台(野尻#1号車、平川#20号車、宮田#37号車)を予約してるけど、果たしてミニカーファンに受け入れられるのか?なんとなくフォーミュラEと同じ末路を辿りそうな気がするわ(汗) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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