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2017.06.27
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テーマ:国を憂いて(3492)
カテゴリ:憂国の嘆き
司馬遼太郎氏は「歴史家」ではなく「作家」であり、司馬氏が書かれたものは「史実」そのものではなく、あくまでも「歴史小説」である。だからこそ、無名の若者たちの業績を坂本龍馬という一人の人物に背負わせることもまた可能なのである。

私は、学生時代、司馬文学に活き活きと描かれる登場人物に魅了され、自らと重ねたことも少なくなかった。

司馬氏は「明治という時代」を日本の立場から歴史を騙り、この時代の日本人が見上げていたものを「坂の上の雲」と表現し、明治という時代に関する言論・表現の公的領域を拡大することに多大なる貢献をなし、戦前と戦後の連続性を我々が意識することを容易ならしめた。

しかしながら、司馬氏は「昭和のある時期」を「日本ではない」と切り取り、日本の立場からではなく、第三者が犯罪を糾弾するような視点で、東京裁判史観を追認、補強するような一面ものぞかせている。

それは「戦後日本の欠落」を象徴するものとも言え、大東亜戦争に関する言論・表現の公的領域を縮小させ、同調圧力を高める道具と化している。「あの司馬遼太郎氏ですら、大東亜戦争は否定的にみている」と。。。

司馬氏が「昭和のある時代」を描くと、祖国とその時代を容易に切り分け、敵意や憎悪、恨みを書き連ねる。

我が国は、悠久なる歴史から一貫して「日本」であり、司馬氏の言うような「明治という国家」も「あの国」も「昭和のある時期の国家」もあったわけではない。

「明治の奇跡」も決して突然現れたわけではなく、江戸時代に我が国が有していた先進性を土台にしているものである。

また司馬氏が活き活きと描いた「日露戦争」と蛇蝎のように嫌う「大東亜戦争」に共通した自らが帰属する国家「祖国」をひたむきに一身に背負った日本国民としての自負、素朴な気負いの熱さ、美しさの物語が随所に見られる。戦後我々は、「軍国主義教育によるもの」と否定的にしか見られていないが、国家と個人の主体性との係わりが醸し出す自然な使命感。これは明治時代から引き継がれたものであろう。

断じて、大東亜戦争を含む昭和のある時期だけを切り取ることなどできないのである。

切り取り可能。と考えるのは「幼稚」である。「便宜主義」「ご都合主義」の温床でしかない。

小林秀雄氏が「私は反省などできない」と書き、江藤淳氏が「負けることが分かっていても戦わなければならない時が国家にも個人にもある」と書いたような、葛藤をも生み出すことがない。

大東亜戦争は、過去として切り離し、すべてを否定する話ではない。何しろ今日の時事問題でもある。先人の歴史を悪意ある非難から守らなければ、未来の日本人を守ることができない。

また容易に過去を切り捨てられる。という発想は、これは将来の日本人から自らをも切り捨てられる。ことをも意味する。つまりは「歴史の断絶」につながるのである。

我々は、「戦前と戦後の連続性」「国家と民族の一体感」を意識の中で回復しなければならない時期にある。(どれほどの困難が付きまとおうとも)

そのためには「司馬史観」という軛を脱する必要がある。

「東京裁判史観」の否定と「司馬史観」の全面的肯定は成立しないのである。

このことを最初に言っておいた上で、昨日付産経新聞「正論」を紹介したい。

2017.6.26 07:10更新
【正論】
司馬遼太郎の「明治」とはなにか 今日の日本は「圧搾空気」が抜けてしまった 文芸批評家・都留文科大学教授・新保祐司

 過日、横浜市のそごう美術館で開催されている「没後20年 司馬遼太郎展『21世紀“未来の街角”で』を見に行った。『坂の上の雲』の愛読者としては、日本海海戦のときの旗艦「三笠」を描いた「三笠艦橋の図」などを感銘深く見たが、その他にも司馬文学をめぐって感興を新たにするものが多く展示されていた。『街道をゆく』シリーズが並べられたコーナーには、実際に歩いた街道を示した日本地図が置かれていた。

≪「圧搾空気」が国家を支えた≫

 島崎藤村の歴史小説『夜明け前』について、小林秀雄が「感服した」こととして、「作者が日本という国に抱いている深い愛情が全篇に溢(あふ)れていること」を挙げたが、会場を歩きながら感じたのは、司馬さんの「日本という国に抱いている深い愛情」であった

 日本人の仕事は、その分野が政治であろうが、実業であろうが、はたまた言論であろうが、かくの如(ごと)く「日本という国に抱いている深い愛情」が中心にあるものでなくてはならないのではないか

 会場の最後のところにNHKスペシャル「太郎の国の物語」をもとに編集した映像を流していたのが、とても面白かった。6分ほどの短いものであったが、司馬さんはあの独特の語り口で明治について印象深く語っていた。

 司馬さんは明治という時代、あるいは国家は「世界史の中の一つの奇跡」と言っていた。これは、明治の偉大さ、栄光を的確に表現したものであろう。明治という時代には、何か絶対的な偉大さというものが感じられるからである。

 そして、「圧搾空気」という面白い言葉を使って、明治という国家は、この「圧搾空気」というものに乗っかっていたから、しっかりと立っていたのだと言っていた。この「圧搾空気」とは、道徳的緊張感によって「圧搾」された時代の気風であり、その硬い精神的強さというものが、明治という国家を支えていたのである

≪「干からびてしまった」精神≫

 さらに、日本人の心の故郷といえば、侍の自らを律する精神、節度であり、これは江戸時代の武士道から来ていると語っていた。この武士道が時代の気風を「圧搾」する大いなる要素であったのである。しかし、明治の末頃から明治の精神は「干からびてしまった」と司馬さんは慨嘆し、内村鑑三や新渡戸稲造における豊潤さも何もなくなっていったと続けていた。

 ここで、内村鑑三や『武士道』の著者・新渡戸稲造の名前が出てきたことは、とても印象深く、この「太郎の国の物語」をもとにした著作『「明治」という国家』を読み直してみる気になった。

 今回再読して、第7章「『自助論』の世界」が、最も「明治の精神」の核心を突いているように感じられた。この章では、スコットランドの思想家・スマイルズの『自助論』を中村敬宇が訳した『西国立志編』のことが取り上げられている。「明治時代を象徴する本を一冊あげよ、といわれれば『西国立志編』つまりサムュエル・スマイルズの『自助論』がそうでしょう」とされている。

 「太郎の国の物語」の映像の中で、司馬さんは明治の気風がプロテスタンティズムと似ていたというような話をしていて、ハッとさせられたが、この本の中では、この短い発言の意味が次のように説明されている。

 「“明治国家とプロテスタンティズム”明治日本にはキリスト教はほんのわずかしか入りませんでしたが、もともと江戸日本が、どこかプロテスタンティズムに似ていたのです。これは、江戸時代の武士道をのべ、農民の勤勉さをのべ、また大商人の家訓をのべ、さらには町人階級の心の柱になった心学をのべてゆきますと、まことに偶然ながら、プロテスタンティズムに似ているのです。江戸期の結果が明治国家ですから、これはいよいよ似ている。ただし、決定的に似ていないところがあります。ゴッドとバイブルをもっていない点です」

 司馬さんは、その慧眼(けいがん)から日本の歴史や日本人に対して鋭い指摘を数多く残しているが、この「明治国家とプロテスタンティズム」をめぐっての洞察は、その最たるものの一つであろう。「明治の精神」の特性を見事にとらえている。これが、「圧搾空気」の源泉であったからである。

 ≪日本への「深い愛情」が必要だ≫

 翻って思うに今日の日本は「圧搾空気」が抜けてしまって、べったりとしている。垂直性を失っている。「戦後民主主義」においては、「軟らかい」ということが肯定的に唱えられて、硬いものは排除されていった。しかし、今や時代の気風を「圧搾」する硬いものの価値を見直すべきであろう。

 昭和の国民的作家・司馬遼太郎が、明治を「世界史の中の一つの奇跡」と評したことの意義は極めて深い。来年、明治150年を迎えるに際し、国家を支える「圧搾空気」を形成していかなければならない。そのために必要なのは、「日本という国」に対する「深い愛情」と明治という時代についての遥(はる)かなる回想なのである。(文芸批評家・都留文科大学教授・新保祐司 しんぽゆうじ)

以上産経ニュースより太字部等編集し引用

「圧搾空気」なるものが抜けたのは、「大衆社会」が蔓延し、「民主主義なるものが、国民の一時的な感情表現」に堕しているいることが原因であろう。

五霞条の御誓文
にあった「公心」をもった個人ではなく、「私心」に満ち溢れた個人が皇帝のようにふるまっていれば、圧搾空気など簡単に抜けてしまうのは当然であろう。

司馬氏は、「昭和のある時代」において私心丸出しの書きっぷりをする。

晩年、司馬氏の作品には、圧搾空気など始めからなかったような表現が多々見られる。

司馬作品に接する際には「なぜここまで堕落してしまったのか」これをまた考えながら読む必要があろう。

自らの体験からしか語ることができない。これは賢者は歴史から学び、愚者は体験から学ぶという金言がそのままあてはまる。

歴史は、やはり一定の時間が必要なのである。
おそらく数十年後「歴史」となった大東亜戦争を日本の立場から描く作品が世にあらわれることを期待する。

文責 上田 和哉










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Last updated  2017.06.27 11:58:12
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