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戦後、我が国マスコミは、「権力の監視こそ任務」などとお題目を唱えているが、実態は、占領下では占領軍の権力の監視などしたことはなく(検閲、元老ん統制があったためでもあるが)監視、批判の対象は日本政府であった。
独立回復後も、占領下での占領軍の権力の乱用(現憲法の作成経緯など)を非難することも、検討することも避け、55年以降は専ら政府自民党が、監視・批判の対象とされた。 結果として国民は「自民党=悪」というイメージが刷り込まれ、それを批判する勢力はまるで正義のように思い込むようになっている。(それでも一時期を除いて、国民は自民党政権を支持し続けている。それは唯一の民族政党と言えるからであろう。) これは、都知事選・都議選での「小池ブーム」というものの正体を知る上で認識しておかなければならない。(これは、小池ブームに限らず、「自民党をぶっ壊す」とまくし立てた小泉ブーム、「政権交代」を訴えた民主党ブームなどにも共通する。そう敵はあくまでも「自民党」だということである。民主党が政権を失ったのは、「反民主」ではなく、民主党のあまりのひどさに国民はあきれ果てたのであり、自民党ブームが起きた。安倍ブームが起きたというわけではない。) 自民党を敵視することは、マスコミ(とりわけ反日マスコミ)の心を強く揺さぶるのである。 都知事選の際、小池氏は、(事実とは異なるが)「自民党都連にいじめられている可哀そうな小池さん」というイメージを前面に打ち出し、けなげに戦うという姿勢が多くの共鳴を呼んだ。 これを助けたのは、愚か極まりない自民党東京都連の石原氏などの幹部が口汚く小池氏を罵ったことであろう。 都議選の際には、小池都知事はここでもまた「自民党東京都議団にいじめられている可哀そうな小池さん」というイメージを作って戦った。 このようなイメージ作りにこれまた、自民党都議団や議長などの横柄な姿勢が作り上げたものである。 さらに都議選直前、自民党国会議員のスキャンダル報道が週刊誌に報じられるや、自民党のイメージはさらに悪化した。 言うならば ジャイアンにいじめられているのび太君が可哀そうで有権者はドラえもんとなり、さまざまな道具を与えた。と形容してもよいだろう。(その際、若狭氏が演じた役割は、陰で支える健気なしずかちゃんと行ったところだろうか) 小池氏は、マスコミを取り込み、ジャイアンを懲らしめることに成功した。 (はっきり言えば、小池氏の生き方、考え方、政治遍歴、実績、先見性などが支持されたわけではない。) 「都民ファースト」というキャッチフレーズは国民に受けた。こともまた明らかである。これはあたかもこれまでの自民党都政が「都民のため」ではないのだという印象を与え)ここにもマスコミが国民に刷り込んだ深層心理が働き、きっとそうなんだろうと思いこませた。まあその後を見れば「都民ファースト」などではなく「小池ファースト」にすぎなかったことは白日の下に晒されつつある。決定すればするほど、それに反対する人がいるのだから、今後、小池都知事への支持は急速に低下するであろう。決定しないこと。実はできないだけなのだが、子らが「イメージを高める」こう小池都知事は錯覚しているのだろう。) では、なぜ小池ブームは起きていないのか その一因は、都議選で、「都民ファーストを勝たせすぎた」「自民党を負けさせすぎた」というバランス感覚が一つある。東京にはいまだに「小池ブームがある」と思われている方々もおられようが、もう東京にもそのようなムードはない。 本来選挙のあり方として重要な、国政・都政での実績がないからでも、決定する能力がない。大事小事の区別ができないという本質、資質を突く批判ではない。 国民の目には、小池都知事と若狭氏がジャイアンとジャイ子となって、スネ夫をいじめているというイメージにすり替わったということである。 反日マスコミは、「希望の党」結党時には、「反自民」「反安倍総理」の旗頭とみなして大いに盛り上げた。 ところが、彼らのお仲間の民進党極左。左翼が「排除」されるという事態に陥ると、その姿勢を変え始めた。国民もまた、少なからず「リベラルは善」であるかのような印象を受けさせられているため、小池支持の動きがピタリとやんだだけではなく、逆風が吹き始めているのである。 「自民党を敵」とみなすのではなく「極左」を敵とした。 これが反日マスコミによって、「護憲派」「護憲派」をいじめる悪いやつというレッテルを貼られたのである。 今、反日マスコミは、必死でいじめられているのはスネ夫ではなく、のび太君なのだと「立憲民主党」をのび太君に思わせようと企んでいるが、国民はその正体にすでに気づいているため、有権者がドラえもんになることはない。 「察する能力」「先見性」がまったくない民進党議員たちは、「ごみ同然の民進党という看板を捨て小池印を得れば、当選間違いなし」と有頂天になっていた。 だが、泥舟から乗り移ったのもまた泥船でしかなかったのである。 自らの先見性のなさを棚に上げ、「こんなはずじゃなかった」こんな人たちはそもそも議員としての資質がない人である。 まあ実につまらぬところに生息している輩というしかない。 そもそも「ごみ同然」のものは、看板を書き換えてもゴミ同然でしかないのである。 まあこのような人たちは、地元のことすらまったく見ていないのであろう。元々、東京以外では「小池ブーム」など起きていないし、「都民ファースト」は、優遇されている都民がさらにエゴ丸出しになったものと批判的にみていることすら見ていないのだから、誰の選良なのか???まったく何も見ていない。見据えるのは当選だkでしかない。勿論そのような人だから、国民を説得するなどという面倒な作業など出来るわけもない。 現状において「希望の党」は。かなり厳しい。とい追わざるを得ない。 勿論、選挙に弱いから助け舟としての比例復活当選を狙う姑息な「立憲民主党」にはそれ以上に厳しい結果が待っているだろうが。。。 票読みをするわけではないが「希望の党」は労働組合の怖さを思い知る結果になるものと思う。労組の力の源泉は何か??? 「当選させる票」はないが「落選させるに足る票を持つ」ということである。 労組票は、今回力の誇示のために、かなりの数「自民党」へ流すのではないだろうか???それが一万票なた行って帰って二万票の威力を発揮する。浮動票が動かない情勢から見れば、そのインパクトは大きいであろう。 この労組の考え方については単なる妄想ではなく、過去そのような選挙があったのだという事実を全手にして書いている。 鳩山氏が。最後の最後に当選を決めた選挙。これ以降鳩山氏は、労組に屈伏。意向安定した当選を重ねることができた。 私は注目するのは若狭氏の当落である。 かなり厳しい情勢となろう。 小池劇場は、次の知事選を含めて、もう幕が上がることはないであろう。 賞味期限どころか消費期限が切れてしまっているのである。 この賞味期限、消費期限が長かったか、短かったかは皆様方の判断に委ねたい。 私は、戦後のマスコミが刷り込ませた「自民党=悪」というイメージには異論があるし、それに対抗すべきであるとも思う。だから、小池都知事をもう少し暖かく見守るべきではないかという気持ちはわからないではない。 しかし、小池氏そのものが「戦後日本」を助長する考え方なのであるから、とても指示するわけにはいかないのである。 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.10.06 09:23:01
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