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カテゴリ:不易流行
それも門人衆の一人が「この上は いっそ明日は皆で堅田まで繰り出し、十六夜の月を愛でに出かけては 如何?」「応 そうじゃ!」「それは面白い・・」と言い出し、
思い立って堅田へと舟遊びへ繰り出すこととなり。宴は予定外にその翌日も続き、 成秀亭での十六夜の観月句会 となったようだ。 望月の残興なほやまず、二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。 その日、申の時(午後4時ごろ)ばかりに、何某茂兵衛成秀(竹内茂兵衛成秀。蕉門の堅田在の俳人)といふ人の家のうしろに至る。 「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、声々に呼ばふ。 とあり、 芭蕉を慕い、無名庵の新装に喜びあふれた近江の門人衆の、瓢箪から駒の如く飛び出した戯言から思い立って、船出した様子が伺え、おもしろい。 (中略) 更に あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」と、客をもてなす心いと切なり。 やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。 云々 十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」と言へば、あるじまた言ふ、 「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川(根本中堂のある横川。恵心僧都ゆかりの地)に至らんとす。 として 「錠明けて月さし入れよ浮御堂」(じょうあけて つきさしいれよ うきみどう) 「やすやすと出でていざよふ月の雲」(やすやすと いでていざよう つきのくも) 「十六夜や海老煮るほどの宵の闇」(いざよいや えびにるほどの よいのやみ) と吟じた事だったが・・ 思うに、芭蕉はこの三日間の大津門人衆との楽しい交わりに、ひらめきも文才もさえわたり、 近江での最高傑作の俳句を詠んだ日々といえるのではなかろうか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 30, 2020 03:22:48 PM
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