十数年前、私はここの河川敷を毎日通っていました。
思うところあって、というかぼろぼろになってスーツを脱いだ頃でした。
しばらく引きこもりのような生活をした後、
パン工場で夜勤のアルバイトをしていたのです。
ネクタイをしていた時は、毎朝同じ時間に同じ顔とすれ違っていましたが、
夜中や早朝のここでは、実に様々な人間模様に触れました。
定時制高校に通う若者にこき使われた後、
くたくたになって自転車で走る河川敷には、
満員電車の中にはいない顔がいっぱいでした。
出社・登校前に、早朝の釣りを楽しむ父と息子。
うらやましい光景でした。
シンナーでラリる女の子もいれば、
ジョギングしながら
「おはようございます!」
と挨拶してくれた見知らぬ女子高生もいました。
散歩する老人の後姿に父の背を見たときは、涙が出ました。
道端に咲く、名も知らぬ小さな花の香りに癒されました。
そのどれもが一度きりの「出会い」でしたが、
ひとりだけ毎晩出会う人がいました。
出会いと言っても、真っ暗な川の対岸にいた人なので、顔は見えませんでした。
ギターの弾き語りをする外国人女性の歌声が、毎晩聞こえたのです。
川の対岸からでもよく聞こえる声量とカーリー・サイモンのような低い声で、
いつもリンダロンシュタットの曲を歌っていました。
いつか対岸に行って、
リンダロンシュタットかキャロル・キングの曲をいっしょに歌ってみたいと思っていました。
こうして今あの頃を思い出し、
小豆色の電車を眺めながら「イッツ・トゥ・レイト」を口ずさんでみたのです。
対岸に来るだけなのに、ずいぶん遠回りをしてしまいました。