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カテゴリ:戦中・戦後
太平洋戦争末期、横浜市内の空き地には必ずと言って良いくらいヒマが植えられていた。 そのヒマが自宅近くにある温室の空き地で咲いていた。 見た瞬間、あっ、ヒマだ! と驚きとともに、子供の頃の、戦争中のあのヒマを想い出してしまった。 ヒマはヒマシ油の原料となる。 このヒマシ油は当時小さい子供のいる家庭の常備薬。 何か悪いものを食べて当たると、このヒマシ油をスプーン1杯飲まされたように思う。 吐き気を催すか、下痢をしてすぐ体外へ放出する効果があったように思う。 ともかく不味い、あのどろっとした油を飲むとすぐ「ゲー」となったように思う。 その油を作る種子が、この赤い実の中に入っているのだ。 種子は確かうずら豆に似た形と大きさで、実を割るとドロッとした油が出て来たように思う。 その種子の表面には独特の模様が付いていたようにも思う。 何故、戦争中にこのような植物が街中で栽培されていたのか? 多分、軍部からの指令があったのではないかと想像している。 石油製品の潤滑油が足りなくなり、その代用品としてこのヒマシ油を使おうとしたのではなかろうか。 それにしても強烈な印象を与えるヒマの実である。 このヒマ、正式な名前は「トウゴマ」とのこと。 Wikipediaには、 トウゴマ(唐胡麻、学名:Ricinus communis)は、トウダイグサ科トウゴマ属の多年草。 別名、ヒマ(蓖麻)。 とあった。 このヒマを好んで食べる虫もいるようである。 まさに「蓼食う虫も好き好き」か。 でも、太平洋戦争中の「ヒマ」を想い出す人は、もうそう多くはいないのではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.03 17:22:32
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