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テーマ:猫のいる生活(136025)
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船のお仕事をされてる方以外はあまり縁の無いものですが、航海のために無くてはならない存在。 一定規模以上の船舶には、備え付けることが義務づけられているものです。 地図と違ってこれより下に海面が下がらない最低水面(干潮時)が基準面とされています。 座礁を防止するために、いくら潮が引いても海図に記された水深より浅くなることは無いように配慮されてるのです。 普通の地図では、これが満潮時の喫水線で書かれているので、これでは潮が引くと船は座礁してしまうことになります。 これだけは他の海図と違って、独自のものでした。 現代の海図と同じものは13世紀になってからです。 中国から羅針盤が導入されたヨーロッパで発達しました。 13世紀中ごろに地中海一帯で用いられた「ポルトラノ海図」が最も古い海図とされています。 羅針盤から多数の方位線が引かれているのが特徴です。 羅針儀海図(らしんぎかいず)は港や海岸線を写実的に描いた航海用の地図です。 中世ヨーロッパ人が地中海や黒海を帆走した経験をもとに大まかな海図を作ったもので、その後大西洋やインド洋についても海岸線の地図が作られていきました。 海岸線は写実的に描かれており、当時の航海者はそれらを実際の航海に使っていたのですが、羅針儀海図は地球の丸さを考慮していません。 そのため周辺に何もない大洋を渡る際には役に立ちません。が、その代わり海岸線の特徴はよく捉えており、特に地中海、黒海、紅海といった狭い海域での航行には便利だったのです。 この羅針儀海図で現存する最古のものはCarta Pisana と呼ばれるもので、1296年ごろに制作されたものです。 下の画像は地図製作者Angelino Dulcert が1339年に製作した羅針儀海図です。 羅針儀海図は大航海時代初期には主にイベリア半島で、アフリカ、ブラジル、インド、さらにはマラッカ海峡を越えて日本まで海図に描かれるようになっていました。 これらの羅針儀海図は羊皮紙に描かれることが多く、海岸線の特徴と港が描かれています。 当時の船は小さかったため、嵐の際には港がなければ入り江などに避難することがあり、また砂浜に引き上げて修理することもあったため、海岸線についての情報は重要だったのです。 大航海時代の始まりは、1415年のポルトガルのセウタ攻略。 セウタは、ジブラルタル海峡に近い地中海沿岸に位置するアフリカ大陸北部にあるスペインの飛地領です。 この地は海上交通また軍事上の要衝として、既に紀元前7世紀にはフェニキア人が定住地を築き、その後ギリシャ人やカルタゴの占領下になった後、東ローマ帝国領となりました。 まもなくイスラム軍が占拠して、長らく統治しましたが、この地域一帯からイスラム勢力を駆逐し、キリスト教を振興する目的でポルトガルが侵略。 ポルトガル王朝が断絶した後で、スペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承し、セウタはスペイン領となったと云う、住民を無視して大国が好き勝手してきたとこなんですね。 1502年、つまり大航海時代に現存する最古の平面天球図が描かれています。 「カンティーノ平面天球図」と呼ばれるこの海図はポルトガルからイタリアに地図を密輸したアルベルト・カンティーノに由来します。 アフリカの海岸が詳細に描写されている他、断片的ながらブラジルの海岸も記されています。 アフリカ、ブラジルの一部、およびインドの場所は、天文学的に観測したそれぞれの緯度と一致するように描かれているのです。 この平面天球図にはコロンブスが中央アメリカ、ガスパル・コルテ=レアルがニューファンドランド島、ヴァスコ・ダ・ガマがインド、カブラルがブラジルに各々赴いたことが示されています。 この大航海時代には、航路の開拓とともに水深も徐々に記入されるようになります。 1569年、オランダの地理学者メルカトルが、経線と緯線を格子状に書き込むメルカトル図法を考案し、以後の海図にはメルカトル図法が用いられるようになったのです。 中之島公園の猫たち-「SAVE THE CATS IN NAKANOSHIMA PARK-」 整備工事で閉鎖になった大阪の中之島公園。そこに暮らしてた約70匹の子供たち。 心あるボランティアのご尽力で「猫の部屋」と呼ばれる仮住まいを得ることができました。 すこしずつ里親さまも決まってきてますが、まだまだ多くの子供たちが良いご縁を心待ちにしています。 なを「中之島公園の猫たち」では恐縮ですが現金によるご支援は一切お断りしております。 「公園ねこ適正管理推進サポーター制度」が実施されています。 そちらのリンクもありますので、大阪市在住の方はぜひ見てください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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