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耳(ミミ)とチャッピの布団

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Nov 22, 2019
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映像作家"松本俊夫"、この人を単なる映画監督と云うにははばかりがあります。
Wikipedia を見ても「松本俊夫は、日本の映画監督、映像作家、映画理論家。元日本映像学会会長。愛知県名古屋市出身」とあるだけで、後は作品のタイトルが並んでるだけ。
しかし、この人こそピーター(池畑慎之介)をいちやく世に出した映画「薔薇の葬列」の監督なんです。


ピーターの父親は上方舞"吉村流"四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝さんです。
吉村流は、明治初期に吉村ふじによって創設された上方舞の流派で、その原点は江戸時代末期に京都の御所に出仕した狂言師が始めた御殿舞なんですな。
その吉村雄輝さんの長男として生まれたピーターですから、幼児の頃から父に厳しく仕込まれていたのですが、その父が逝去するとピーターは自ら「雄秀」と云う吉村流の名前を返上して吉村流とは決別してしまいました。
吉村流は他の舞と違って、家元は世襲せず、代々実力のある内弟子が跡を継ぐという独特な伝統があったためです。
ピーター5歳の時に両親が離婚して、中学生3年生になったとき家出をしています。
たどり着いたのは原宿。
表参道のクラブで募集していたゴーゴーボーイに年齢をごまかして応募。
ゴーゴーボーイはゲイクラブのステージやフロア、お立ち台で観客を盛り上げるダンサーです。

ところが、たまたま来ていたお客に、父の知り合いがいたことで、父にバレ、父の暮らす大阪の宗右衛門町に連れ戻されてしまいます。
こうして父と暮らし始め、以前私が住んでた大阪の昭和町にある桃山学院高校に入学します。
ここは当時、ピン高と蔑んで呼んでたバカ高なんですが、ピーターはまたしても家出して上京してしまいます。
高校1年生の時です。
再上京後は、六本木のクラブで、再びゴーゴーボーイとして働き始め、中性的な美貌から「ピーター・パン」と呼ばれるようになりました。
これが芸名「ピーター」の由来なんです。

当時、週刊誌に取り上げられたピーターの記事が残ってます。
失神GSとして一世を風靡した元「オックス」のメンバー"赤松愛"に例えられています。
再上京から約3ヶ月後の1969年、働いていたクラブで知り合った、作家の水上勉のパーティに招待されます。
そのパーティに参加していた舞台美術家の朝倉摂に「主役の美少年にぴったり」とスカウトされ、その作品が松本俊夫監督の「薔薇の葬列」だったのです。
これを機に同年10月には、ファーストシングル「夜と朝のあいだに」で歌手デビュー。
たちまちヒットして「日本レコード大賞最優秀新人賞」を受賞することになります。
さて、「薔薇の葬列」が撮られた1969年とはどんな年だったのでしょう。
それは"全共闘"と新左翼の学生が、東大本郷キャンパス「安田講堂」を占拠した事件に象徴されます。
学生たちは授業料値上げ反対、学園民主化などを求めて闘争をくり広げたのですが、同時にベトナム反戦運動や第2次反安保闘争も含んでいて学生運動と云うより、完全な政治闘争だったのですね。
警視庁は8個の機動隊を投入して武装解除を試みましたが、学生による火炎瓶やホームベース大の敷石の投石、ガソリンや硫酸といった劇物の散布などで相当数の警察官が重軽傷を負いました。
まさに騒然としていた時期だったのですね。
しかし、それと同時に伝統的な日本映画には従来顧みられることのなかった理想を探究した「日本ヌーヴェルヴァーグ」、そしてそれに続く「松竹ヌーヴェルヴァーグ」が花咲いた時期でもありました。

それは「政治」「犯罪者や非行少年を含む社会から追放された人間を主人公」として描くこと、「奔放な性」「社会における女性の役割の変化」「日本における人種差別と人種的マイノリティの位置」「社会構造と社会通念への批評あるいは脱構築」などを追及するものであり、まさに世相を反映したものでした。

大島渚の「日本の夜と霧」がその代表作であり、ここで述べる松本俊夫をはじめ、武満徹、粟津潔、東松照明、磯崎新、寺山修司、一柳慧など革新的な映像表現に大きな影響を与えていく若き才能たちだったのです。
松本俊夫の作風はドキュメンタリー的手法に要約されます。
それは1959年の「安保条約」に象徴されるドキュメンタリー作家としてのスタートが原点でした。
それは1967年の詩としての映像「母たち」でベネチア国際記録映画祭のグランプリ受賞で結実します。
では、ピーターが主演した「薔薇の葬列」とは?
この作品には写真家の秋山庄太郎や粟津潔をはじめ、淀川長治、映画監督の篠田正浩や藤田敏八、画家の池田龍雄、NHKアナウンサーだった八木治郎など異色のメンバーが特別出演しています。
俳優らしい俳優と云えば、土屋嘉男や小松方正、1978年の「白い巨塔」で東貞蔵教授夫人に扮し、鼻持ちならない上流夫人を演じ切ったことで有名な東恵美子などほんの数名です。
後の出演者のほとんどは素人然とした人たちで埋め尽くされてます。

新宿のゲイバー「ジュネ」の看板少年エディを描いた物語で、非常にセンショーナルなシーンの連続です。
それは猥雑なエネルギーに満ちた60年代末期の新宿を舞台に、実の父を殺し、実の母と親子婚を行ったギリシア神話の"オイディプス"の逆をいく物語となっています。
俳優たちがカメラに向かって素で語ったりするまさにアヴァンギャルド映像作家としての松本俊夫ならではの趣向が凝らされている作品です。
また松本俊夫は1963年の「石の詩」や1975年の「ファントム=幻妄」のような16mm フイルムを使った実験的な映像も多数作っているかと思ったら、1971年に中村賀津雄、唐十郎、三条泰子が主演した「修羅」のような全編夜の闇、しかも登場人物12人中、9人が死に果てるという凄惨な怨念時代劇を撮ったり、戦争で無為の死を余儀なくされた多くの死者たちに捧げた鎮魂歌としての1976年の「十六歳の戦争」(秋吉久美子 主演)など非常に問題作ばかり残しています。






そして、ついに松本俊夫は映画化が絶対不可能と云われてた夢野久作の奇書「ドグラ・マグラ」の映画化に1988年、取り組みます。
なぜドグラ・マグラが映像化不可能だって?
それは原作を読めば一目瞭然です。

この物語は胎内で胎児が育つ10ヶ月のうちに、数十億年の万有進化が構築されて、それを胎児は夢の中で知っていると云う「胎児の夢」をテーマにしたものです。
原作者の夢野久作は構想、執筆に10年以上の歳月をかけて書き上げ、発表の翌年に死去しています。

その常軌を逸した作風から一代の奇書と評価されており、「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」とも評される、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」、中井英夫の「虚無への供物」と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられている作品です。
松本俊夫のドグラ・マグラでは、今は亡き故 桂枝雀の凄まじい怪演が全てです。
他には室田日出男や映画「タイタニック」でディカプリオの吹き替えを担当した松田洋治、そして江波杏子なんかが出演しています。

私は原作ももっていますし、映画「ドグラ・マグラ」のDVDも持っていたのですが、なぜかDVDは散逸してしまいました。
非常に貴重なDVDだけに惜しいです。

ストーリーは、複雑すぎますので(読む人によって受け取り方も違う)、原作を読まれるか、DVDを探して観てください。
DVDはまだ、Amazon なんかでは手に入るようです。


2017年4月12日、松本俊夫は腸閉塞のため都内の病院で逝去しました。
85歳。


追悼・松本俊夫、ロゴスとカオスのはざまで/映画「映像の発見=松本俊夫の時代」





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Last updated  Nov 22, 2019 05:21:47 AM
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