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テーマ:猫のいる生活(136636)
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太平洋戦争中、国民は「贅沢は敵だ!」困窮生活を強いられました。
でも...「イチバン銭くってるのは戦争そのものぢゃないか!バカヤロー」。 と、吠えたのは、日本映画の名脇役として知られた殿山泰司です。 ![]() ![]() 弟の家業継承とともに殿山泰司は家を出て四谷坂町にある借家を借りて住みだしました。 いよいよ戦争の影が色濃くなってきた頃です。 ![]() それ以後、弟の顔を見ることはなかったのです。 昭和21年に復員してきて、初めて弟のビルマでの戦死を知りました。 ずいぶん年月が経ってから、映画の仕事で殿山泰司はバンコクに赴きました。 そのとき知り合った在留日本人に頼んでビルマとの国境「クワイ川鉄橋」まで連れて行ってもらいました。 映画「戦場にかける橋」の舞台になったところです。 河の向うにビルマがありました。 それは茶色っぽい平原で、そのはるか向こうに山々が見えました。 殿山泰司は声をかぎりに弟の名前を叫びました「コウチャン!コウチャン!」。 叫ばずにはいられなかったのです。 ![]() 享年73歳。 「安城家の舞踏会」「滝の白糸」「ひめゆりの塔」「夜明け前」「女の一生」「幕末太陽傳」「第五福竜丸」「人間の條件」「にあんちゃん」「裸の島」「豚と軍艦」「キューポラのある街」「にっぽん昆虫記」「越後つついし親不知」「神々の深き欲望」「砂の器」「はなれ瞽女おりん」「復讐するは我にあり」「北斎漫画」「楢山節考」と数え上げたらキリがないほどの名作に出演し続けた殿山泰司ですが、全くセリフのない新藤兼人監督の「裸の島」と、これも新藤が監督した「人間」以外、全く主役の声はかかりませんでした。 なんせ、あのご面相ですからね。 ![]() ![]() ![]() ![]() 殿山泰司の生涯を映画化した「三文役者」です。 殿山を演じたのは竹中直人。 自分の死後に、自分が主役の映画が作られるなんて、殿山泰司にしたら面映ゆかったでしょうね。 ![]() 作品を選ぶようなことはしません。 巨匠の作品から児童教育映画、娯楽映画、ポルノに至るまでどんな作品にでも"脇役"として顔をだす。 なんでそんなことが可能だったのか? 日本の映画界には1971年まで松竹、東宝、大映、新東宝、東映の大手映画会社5社が取り交わした「五社協定」と云うものがあって、専属監督、俳優の引き抜きを禁止していました。 つまり東映の俳優は、他の例えば松竹の作品に出演できないワケですね。 ところが殿山泰司はフリーでずっと活動を続けていたため、声がかからなければおまんま食い上げですが、どの映画会社とでも自由に契約できる立場だったのですね。 しかも演技力バツグンなのに、決して主役を食うこともなければ、目立ちすぎることもない。 まさにバイプレーヤー(脇役)の鑑だったのですね。 なので、黒澤明や今村昌平、今井正、大島渚などさまざまな名監督に重用され続けました。 73年の生涯で約300本に上る映画に出演し、テレビにも頻繁に出演していました。 ![]() 新藤の初監督作品で、当時大映の大人気スターだった乙羽信子が脚本を読んでどうしても妻の役をやりたいと願い出てきた「愛妻物語」から出演しています。 ![]() ![]() 彼は多くのエッセーを残していますが、その中にはジャズに関する著書も数冊あります。 ![]() 戦前には結婚していた殿山泰司ですが、戦争が終わって復員後に始まった愛人との関係。 結局、奥さんとの離婚がうまくいかなくて、愛人との二重生活は彼が没するまで続きました。 それで没したあとに、お墓は2ヵ所たてられてるのですね。 愛人のことを殿山は「側近」と呼んでました。 ![]() このお店で殿山泰司は料理指南なんかやってました。 ![]() 映画「三文役者」では、殿山(竹中直人)がビールをラッパ飲みで勢いよく流し込むシーンや、肝硬変を患って医者から「さわってごらんなさい、これくらいの固まりがありますよ」と拳を突き出されるシーンなどがあります。 肝硬変だと糖尿病の合併が多いので、食事療法も含めて治療が厄介ですよね。 結局、殿山の場合は肝臓ガンまで発展してしまいました。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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